11月27日17時過ぎ、兵庫県尼崎市の商店街で神戸山口組幹部で三代目古川組の古川恵一総裁が射殺された。軽自動車で逃走したヒットマン(元山口組系組員の朝比奈久徳容疑者)は約1時間後に京都市内で逮捕されたが、商店街で自動小銃が使われたこと、26日から28日の日程で天皇皇后両陛下が「親謁の儀」のために奈良と京都に滞在していたことなどから、今後は暴力団への追及が強まるのは必至と見られる。以下、暴力団事情に詳しい作家の宮崎学氏が分析する。
殺傷能力の高い「M16」で襲撃
報道によると、ヒットマンは「M16自動小銃」を使用したとされていますが、これはベトナム戦争や湾岸戦争などでも使われた殺傷能力の高いものです。ガンマニアのヤクザがコレクションとして持っている例もないことはないのですが、大きくて扱いにくいので国内の抗争で使われるのは珍しいですね。
銃刀法違反の最高刑は無期懲役で、こうした銃は持っているだけでも無期の可能性があります。しかも、人通りのある商店街で撃っているのですから、ヒットマンは死刑判決を免れないと思います。ヒットマンは六代目山口組の関係者で、覚せい剤の使用で破門されており、起訴されて保釈中だったとのことですが、「六代目山口組とは無関係」とは認められないでしょうね。
「高山(清司六代目山口組若頭)さんは本気やな」と関係者やメディアが見るのもわかりますし、幹部を殺された井上(邦雄神戸山口組初代組長)さんがどう出るのかに注目が集まるのは当然といえます。この井上さんは「大阪戦争」(1975年7月~78年11月)の功労者として知られ、長い懲役にも行っています。日本がバブル景気で浮かれていた頃はムショで辛抱していたので、バカなカネの使い方をしていない「堅実派」とも評価されていますから、カエシ(報復)も慎重なのかな、という気もしますね。
大阪戦争とは、田岡一雄三代目が率いていた頃の山口組と大阪の地元のヤクザである二代目松田組との抗争事件で、山口組側に4人、松田組側に8人の死者が出ています。当時の田岡三代目は全国に進出していましたが、これが山口組の「他組織との最後の大抗争」といわれ、この後は山一抗争(84年8月~89年3月)をはじめ、山竹抗争(89年7月~90年6月)や山波抗争(90年6月~12月)など、内部抗争が中心になっていきます。
もっとも、山竹抗争とは、山一抗争の終結に反対して脱退した四代目山口組の竹中正久組長の実弟に対する山口組からの一方的な攻撃であり、「抗争」とはちょっと違います。実弟の竹中武氏は、山口組離脱者で結成された一和会の謝罪を受け入れなかったんですが、いずれにしろ、ほとんどの抗争が山口組の内部対立によるものです。大組織の宿命といっていいでしょう。ヤクザに限らず、組織の人数が多ければトラブルは起こるものです。
天皇との“ニアミス”に警察庁が激怒か
今回の事件では、天皇夫妻が近くにいた上に街で自動小銃を使ったということで、より批判が高まるのは致し方ないでしょう。特に、天皇夫妻が関西を訪問しているタイミングでこの事件が起きたことに警察庁幹部が激怒しているという噂もありますから、これを機に、さらに暴力団排除の機運が高まるであろうことは残念でなりません。「ヤクザは悪くない」とは言いませんが、極端な締め付けは半グレの台頭など「より悪いもの」しか生まないのです。