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裁判長も泣いた…殺人罪の冤罪で10年以上服役、2人の“女獄友”の獄中での友情

写真・文=粟野仁雄/ジャーナリスト
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井戸謙一主任弁護人と握手する西山美香さん 3月31日 滋賀県弁護士会館

 2003年5月、滋賀県東近江市の湖東記念病院で人工呼吸器のチューブを外して72歳の男性患者を殺害したとして殺人罪で懲役刑12年間を満期服役した元看護助手の西山美香さん(40)が3月31日、大津地裁で再審無罪となった。亡くなった患者は自然死の可能性が高く、自白内容は客観的事情から信用性がなく、「虚偽自白」は警察官(山本誠)による誘導で任意性もないとして完全に証拠排除された。

 経緯や判決内容の詳細は割愛するが、取り調べの「飴と鞭」を勘違いさせ、軽い知的障害のある西山さんに恋愛感情まで持たせた山本刑事の卑劣な捏造がこの冤罪を生んだ。無罪判決を言い渡した後、大西直樹裁判長は涙ながらに西山さんに向かってこう温かい言葉をかけた。

「嘘の供述をしたことを後悔し気に病んでいるかもしれません。(中略)問われるべきは捜査手続きの在り方です。(中略)この15年あまり、西山さんはさぞつらかっただろうと思います。そのなかで、嘘偽りのない西山さんを受け入れ、支えてくれる多くの人にも出会えたと思います。ご家族、弁護人、“獄友”は大切な財産です。西山さんにもう嘘は必要ありません。等身大の自分と向き合い自分を大切にしてください。今日がその第一歩となることを願っています」

 この日、筆者は傍聴席の抽選に当たり法廷で聞いたが、「獄友」など、これまで裁判官が法廷で使うような言葉ではなく、「この裁判長は若いなあ」(大西裁判長は49歳)とも思った。だが、伏線があった。西山さんが再審公判が結審した2月10日の法廷での意見陳述で、和歌山刑務所(女子刑務所)で一緒だった受刑者を「獄友」と言ったのだ。もっとも親密だった獄友は青木惠子さん(56)である。

 青木さんは1995年7月、内縁の元夫と共謀して11歳の実の娘に保険金をかけ、大阪市東住吉区の自宅に放火して焼き殺したとされ無期懲役が確定した。再審に向けた弁護団の再現実験で「内縁の夫がガソリンを大量に撒いて火傷もせずにライターで至近距離から火をつけることは不可能」と判明、検察の実験でも同じで火災事故と証明された。車庫の車からガソリンが漏れて風呂の焚口の火が引火し火災となり、入浴中の娘が死亡したのだ。保険は学資保険で勧誘員にしつこく迫られて「死亡時」も加えただけだった。無実が濃厚になり、2015年10月に「刑の執行停止」で出所、翌年8月に再審無罪となった。

自暴自棄になっていた西山さんを支える

 青木さんはこう振り返る。

「和歌山刑務所の作業場で、西山美香さんと隣り合わせになり話をするようになった。作業はスポンジなどの台所用品の製品点検と袋詰めなどでした。ある時、新聞を取っていた西山が走るように体を動かすための自由運動の場に来て、自分のことのように喜んで教えてくれました。そこには私の弁護団の再現実験が成功したという記事が出ていたんです」

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青木惠子さん

 お互い、最初は自身の事件について語る時間もなかったが、青木さんは西山さんの「事件」を周囲から知った。次第に西山さんは自分のことを青木さんに話すようになった。しかし西山さんは「私は無実や、殺してへん」などと騒いで刑務官を困らせ、風呂の回数を減らされるなどの懲罰を受けることが再三だった。そんな西山さんに「先輩獄友」の青木さんは「彼らと戦っても仕方がない。弁護士さんにしっかり言いなさい。ここは言われる通りにしたほうが楽に暮らせるのよ。敵は警察や検察、裁判所なんだからもっと裁判にエネルギーを使ってよ」と叱りつけていた。

 2015年10月、青木さんは一足先に出所した。逮捕から20年以上経っていた。「急だったので美香さんに伝える間もありませんでしたが、運搬さんに伝えてもらうように頼みました」。その後は手紙や差し入れをして励ましてきた。青木さんは「満期出所してしまったから再審は諦めてしまうのかとも心配しましたが、がんばってくれました」と語る。西山さんは「自暴自棄にもなっていた時、多くのアドバイスをしてくれて本当にありがたかった。がんばれたのは青木さんのおかげ」と振り返る。

 青木さんは事故を放火殺人にされた。西山さんは単なる自然死。つまり事故ですらないものを殺人事件にされたが、過去、殺人罪で刑に服した女性が再審で無罪を勝ち得たのは西山さんを含めて3人しかいない。西山さんと青木さんのほか、「徳島ラジオ商殺人」(1953年発生)の富士茂子さんだ。「富士さんの無罪判決は亡くなった後だったので、生きて無罪判決をもらった女は私と西山さんの2人だけです。刑務所はたくさんあるのに私たちが偶然、同じだったことは不思議です」と青木さんは振り返るが、その通りだ。

 西山さんは2017年8月の出所後、社会復帰に当たってまずスマホとネットを覚えた。 西山さんは結審時の会見でこう話した。「私なんかよりずっと長く刑務所に入れられた人もいますから」。いつも支援に駆けつけてくれる「布川事件」の冤罪で29年間も服役した櫻井昌司さんを意識していた。「女性第3号は私ですが、本当は鹿児島の原口アヤ子さん(92)=大崎事件、第4次再審請求中=がならなくてはいけなかった」と語る西山さんは、すでに冤罪被害者の支援に走っている。

 西山さんと青木さんという最強の「女獄友コンビ」は自らの壮絶な体験を生かして、警察や検察の不正、不当な捜査を糾弾し、冤罪被害者を救い出すべく、ますます奮戦してくれるはずだ。

粟野仁雄/ジャーナリスト

粟野仁雄/ジャーナリスト

1956年生まれ。兵庫県西宮市出身。大阪大学文学部西洋史学科卒業。ミノルタカメラ(現コニカミノルタ)を経て、82年から2001年まで共同通信社記者。翌年からフリーランスとなる。社会問題を中心に週刊誌、月刊誌などに執筆。
『サハリンに残されて−領土交渉の谷間に棄てられた残留日本人』『瓦礫の中の群像−阪神大震災 故郷を駆けた記者と被災者の声』『ナホトカ号重油事故−福井県三国の人々とボランティア』『あの日、東海村でなにが起こったか』『そして、遺されたもの−哀悼 尼崎脱線事故』『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』『アスベスト禍−国家的不作為のツケ』『「この人、痴漢!」と言われたら』『検察に、殺される』など著書多数。神戸市在住。

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