脅し、賺(すか)し、宥(なだ)めは取り調べの常套だが、これを勘違いしてしまった若い女性の悲劇が起こっていた――。
滋賀県の病院で男性患者の人工呼吸器を外し死なせたとして殺人罪で懲役12年が確定、昨年8月に出所した元看護助手の西山美香さん(38)について、大阪高裁は先月20日、西山さんが求めていた再審を認めた。
03年5月に滋賀県の湖東記念病院で72歳の男性患者が死亡した。滋賀県警は人工呼吸器のチューブが外れたことを知らせるアラーム音に西山さんが気づかず男性が窒息死した、とみて過失致死事件として捜査していた。しかし、任意聴取されていた西山さんは翌年になって「職場での待遇への不満から、呼吸器のチューブを外した」と自白した。目撃者もなく「証拠」は自白だけだが、大津地裁では一転無罪を主張した。同地裁は「自白は真犯人でなければ語れない迫真性に富む」と懲役12年を言い渡し、最高裁で確定していた。
西山さんは12年9月に再審を請求。大津地裁で棄却されたが、弁護団が男性の血液データなどを調べると致死性不整脈など病死の可能性が高いことが判明した。これについて大阪高裁の後藤眞理子裁判長は決定で「男性患者の死因が窒息であるのか病死であるのかは司法解剖の所見からは判断できない」と疑問を投じ、「警察官などから誘導があり、迎合して供述した可能性がある」と指摘した。
「20代の一番大事な時を刑務所で過ごすのはつらかった」と漏らした西山さんは、亡くなった男性について「職員として申し訳ないと思っていますが、殺してないことだけはわかってほしい」と訴えた。父親の輝男さん(75)は「やっと(娘が)社会に戻った感じです」と声を詰まらせた。足が不自由で車いすで駆け付けた母の令子さん(67)は「もう検察は邪魔しないでほしい」と訴えた。しかし大阪高検は後日、最高裁に特別抗告した。
捜査に合わせた供述
取り調べでの西山さんの供述は不自然に変遷していた。呼吸器のアラームは鳴らないようにするボタンもある。供述は途中から「ボタンを押した」となった。決定は、のちに捜査側がアラームが鳴っていないことを知り、捜査に合わせるように供述させた可能性も示唆した。
会見で西山さんは「私が当時の取り調べ刑事のことを好きになってしまい、言いなりになって自白してしまったことを後悔している。でも裁判官にわかってもらえたのは嬉しい」と語った。決定は、アラームの消音方法を知った時期など、嘘をつく必要もないのに嘘をつくような不自然な変遷について、「体験に基づく供述ではない疑いが生じる」とした。
しかし、確定判決は「責任を軽くしようと虚偽供述をしたが、真実を供述するに至ったと考えれば納得できる」としていた。主任弁護人の井戸謙一弁護士が「西山さんが嘘をつくはずがないという先入観で杜撰な審理をしたが、人はさまざまな理由で嘘もつくのです」と指摘したが裁判官の責任は重い。同弁護士は「客観条件に合わないなか、真犯人ではないという認識は十分、刑事にはあったはず。でも自供させれば刑事にとってものすごい手柄。やったと思ったでしょう」と話した。強圧的態度から一転、急に優しい言葉をかけるのは取り調べの常套手段だが、刑事は無実を知りつつ有罪にする自供調書を作成したとみられる。
県警情報でつくった鑑定書
この事件で県警の依頼で男性を鑑定した医師は「死因は窒息」とした。しかしこの医師は鑑定中に、警察から「呼吸器が外れていた」という情報を得ていた。結局、呼吸器は外れていなかったことがのちに判明した。
井戸弁護士は「警察が間違った情報を与えたので鑑定医に責任はないかもしれないが、死体とだけ向き合うのが本来では」と話す。池田良太弁護士は「冤罪事件の7割は科学的な間違いからくるといわれる。自白さえあれば有罪にする裁判所に依拠した捜査機関が自白を獲得し、いいように解剖の結果を利用したのが今回の冤罪を生んだ」と分析する。外部情報を入れながら鑑定する鑑定の在り方には大いに疑問だ。
「こんなことになると思わなかった。大変な迷惑をかけてしまった」と「虚偽自白」を悔いた西山さんは先月26日に38歳になった。「(再審決定は)最高の誕生日プレゼント。また看護の仕事に就きたい」と語る彼女の希望を一日も早くかなえるべきだ。
(文=粟野仁雄/ジャーナリスト)