ブラック化する大手新聞社、恐怖政治敷く“引きこもり”不倫社長の下で人材流出…
麹町6丁目の信号のところで、反対側の二番町に借りている高級マンションがあった。玄関前につけさせるのが普通だが、村尾はそうしない。必ず、少し離れたところで車を止め、降りてしまう。それは雨風の強い日でも変わらない。見ず知らずのタクシー運転手にも、自分の借りているマンションの場所を教えたくないという気持ちが優先するのだ。
秘密主義は徹底している。社内では過去に一緒に仕事をして秘密を共有している、ごく少数の部下には携帯電話の番号も教え、頻繁に打ち合わせをするが、それ以外の幹部には携帯電話の番号も教えず、会うのも嫌がる。それもあって、多くの社員の間では社長室が「開かずの間」と呼ばれ、「引きこもり社長」などと陰口が叩かれている。当然、陰口は村尾の耳にも入っていたが、意に介することはなかった。
社長就任から約3年経ち、経営の中枢はすべて側近で固め、「ゲシュタポ」を使って社内の不満分子に目を光らせる体制を確立していたからだ。しかも、うるさ型の旧亜細亜、旧日々出身者は定年や早期退職制度の利用で社を去り、人事権をバックにした恐怖政治で、村尾は「社内を完全に掌握した」と自信を深めていた。「美松」の席で松野に説明した通り、村尾には喉に刺さった小骨はOB株主だけになったのだ。
社長など夢にも思っていなかった村尾のような男を社長にしてしまうと、その座に留まり権勢を振るうことだけが自己目的化する。しかも、優秀な人材はわざわざ遠ざけなくとも去っていく。日亜が人材の縮小再生産サイクルに入ったのは間違いなかった。頽廃路線まっしぐらなのに、村尾がそれを気付くはずもなかった。
●「小が大を飲む」という野望
タクシーを降りた村尾は、麹町6丁目の信号が青になるのを待った。信号が青になると、村尾は憂鬱そうな顔つきで二番町側に渡った。信号を渡れば自宅である高級賃貸マンションまで100mほどだ。身長175cm前後の村尾は大股で足早に歩くので、ほんの2〜3分でマンションの玄関に着く。
社長になってから、村尾は外で面識のある人間に出会ったり、目撃されたりするのを極度に嫌っていた。だから、いつも大股で足早に歩くのだが、この日は違っていた。信号を渡ったところで、立ち止まった。羽織っただけだったベージュ色のコートのボタンを留め、襟を立てた。そして、ゆっくりした足取りで、自宅マンションに向かったのだが、またすぐに立ち止まった。今度はコートのポケットからタバコを取り出し、火をつけた。
村尾は10年ほど前にタバコはやめ、社内では一切吸わなかった。宴席でも、相手が吸うときに限り、もらいタバコを吸うことがある程度だった。周囲には村尾がタバコを吸うと思っている者はほとんどいなかった。しかし、自宅マンションにはタバコも灰皿も置いてあった。コートのポケットにもタバコとライター、ポケット灰皿を忍ばせていていた。
村尾がタバコに火をつけるのは、苛々した気分を鎮める時だ。いつもと違いゆっくりした足取りで、しかも、自宅マンションまであと少しのところで、めったに吸わないタバコを吸った。村尾が相当、フラストレーションをためていることをうかがわせた。
権力者として自信を深めており、社内事情に苛立ちの原因があるはずもなかった。松野から持ちかけられた合併交渉にも応じたのだ。しかも、この日の交渉では合併比率を大都株1株に対し日亜株5株にする自分の案で松野の了承を取り付けた。満足こそすれ、苛々の原因になることもありえなかった。
大体、村尾は口ではアバウトな松野を「先輩、先輩」と立てているが、内心では小バカにしていた。合併後は松野を誑し込み、自分が新会社の実権を握れると踏んでいる。不遜にも「小が大を飲む」合併を目論んでいた。合併の基本合意ができ、野望実現に大きな第一歩を踏み出した。陰気な村尾でも、浮き浮きした気分になっていてもおかしくない。村尾でなく、松野だったら、スキップして自宅に帰っただろう。それがまったく反対の精神状態になっていたのは、別の問題で自宅に帰りたくない気分だったのだ。