低所得者や新しい政治勢力の国会進出を阻む巨大な障壁に挑む裁判が、9月16日から東京地裁で始まる。
「小選挙区で300万円、比例代表区で1人600万円の供託金を払わないと立候補できないのは、財産や収入で立候補資格の差別を禁じる憲法44条違反です」
こう訴えるのは、選挙供託金違憲訴訟の原告・近藤直樹氏だ。近藤氏は、2014年12月の衆議院議員選挙で300万円の供託金を用意できず立候補を断念させられた。
「立候補届出関係書類(本人届出)を供託証明書以外はすべて用意しました。供託金だけが用意できず受け付けてもらえませんでした」と近藤氏は悔しがる。
つまり、立候補に必要な書類(候補者届出書・候補者となることができない者でない旨の宣誓書・戸籍謄本・通称認定申請書・出納責任者専任届出書)を用意して窓口まで行ったが、どうしても300万円の供託金を用意できなかったのである。
近藤氏は、立候補する自由を奪われた精神的苦痛に対して300万円の賠償を国に求めて5月27日に提訴しており、その第1回口頭弁論が9月16日午後1時15分から東京地方裁判所611号法廷で行われる。
「東京電力福島第一原子力発電所事故、特定秘密保護法の強行採決などを見て、なんとかしければと思った」(近藤氏)のが議員を志した動機だという。はじめは、さいたま市議会議員になろうと、独自に「市政レポート」を発行して配布するなど無所属の立場で政治活動を始めたという。
しかし、本当に社会を変えるには国政に出るべきと思っていたところ、14年11月に衆議院が解散され、翌12月に投票が決められた。ここで立候補しようと、さいたま市南区役所まで出向いたが、300万円という高額な供託金を用意できず、泣く泣く立候補を断念せざるを得なかった。
日本では、カネがないと立候補できない。
治安維持法とセットで導入された選挙供託金
選挙に立候補するときに一定額を納めなければならない供託金制度の創設は1925年だ。明治時代に始まった選挙制度では、高額納税者しか選挙権を得られなかった。貧しい人にも選挙権を付与せよと長年運動が続き、選挙権を得られる納税額が少しずつ下がってきた。
大正デモクラシーの高揚も手伝って、25年に初めて男子普通選挙が導入され、25歳以上の男子全員が選挙権を獲得したのである。しかし、当時の政治的支配層にとって、自由な選挙で誰でも立候補・投票できるようになるのは脅威だった。