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「相馬勝の国際情勢インテリジェンス」

李登輝元総統が私に語った、台湾の民主化を実現できた理由…軍事政権ナンバー2から転身

文=相馬勝/ジャーナリスト
李登輝元総統が私に語った、台湾の民主化を実現できた理由…軍事政権ナンバー2から転身の画像1
台湾の李登輝元総統(左)と蒋経国元総統(右)

 台湾李登輝元総統が30日逝去した。28日には李氏の死亡情報が流れたが、李登輝事務所が否定し、その時点では誤報と判明したが、翌日には蔡英文総統と蘇貞昌・行政院長(首相に相当)が李氏の入院している病院に見舞いに行ったことから、「だいぶ悪いのではないか」と思っていた矢先に、訃報が現実のものとなってしまった。

 私は新聞社の香港支局長やフリーのジャーナリストとして、台湾を訪れ、何度か李氏にインタビューしたことがある。日本統治下の台湾で育ち、京都帝国大学の学生として22歳まで日本人だったこともあって、日本語は流ちょうで、考え方も日本人と同じだと感心したものだった。

 そのなかで印象に残っているのは、蒋介石率いる中国国民党が台湾を占拠し、台湾生まれの本省人を支配し、軍を中心とした専制政治を敷いた際、李氏は中国大陸の共産党政権にシンパシーを感じて、一時期、共産主義に関心を抱いた時期があったと語ったことだ。

 蒋介石政権下では思想統制が厳しかったので、わかれば、すぐに牢獄に入れられ、拷問で死んでいたかもしれない時代だった。それでなくても、当時は軍や警察による「本省人狩り」が頻繁に行われており、明け方や夜に一般の民家を官憲が急襲することもしばしばで、李氏の自宅も、何度か捜索の対象になった。しかし、「だれかいるか?」との官憲の声がすると、それには答えず、すぐに2階の窓から外に逃げたおかげで助かったという。

 外に逃げずに官憲に対応していると、有無を言わさずに逮捕され、監獄送りで、拷問されて、ありもしない罪を着せられて、10年も20年も監獄生活という例がざらだったという。いったん病気になったら看病もしてもらえないので、待っているのは死で、多数の本省人が亡くなったと語っていた。

 そのような本省人だった李氏が生き延びて、蒋経国総統に次ぐ副総統にまで上り詰めたのは、「専門が農業だったことが幸いした」と聞いたことがある。農業が専門ならば派閥もつくらず総統の座も狙わないだろうという蒋氏の思いがあったため、蒋氏は李氏に警戒心を抱かなかったのではないかというものだ。

中国・習近平との共通点

 この二人の関係を如実に表す写真がある。蒋氏の執務室で、両者が対面して歓談しているショットだが、右側に蒋氏が椅子に深々と座っているのに対して、左側の李氏は椅子の端っこにお尻を浅く乗せて、大柄の体躯を持て余すようにして両膝を窮屈そうに折って、笑顔で蒋氏の話を傾聴しているように見える写真だ。まさに弟子と師匠という関係がぴったりだ。蒋氏は最後は病気で亡くなるのだが、亡くなるまで総統職は手放さなかった。自分の命が危ないとわかっていても、ナンバー2の副総統である李氏を解任しなかったことから、蒋氏は李氏を「後継者」と決めていたのではないかとの見方もあった。

 これについて、李氏は「そういうことはないでしょう。蒋総統は私を後継者と決めていたことはないと思います。蒋氏は最後まで自分は病気を克服して、総統を続けるという自信があったのではないでしょうか」と話していた。

 蒋氏は自分の死後、李氏が総統を目指すことはないだろうと踏んでいたというのだ。つまり、蒋氏にとって李氏は自身の立場を脅かす野心はない「安全牌(パイ)」だったと思っていたということなのだろう。

 唐突だが、これは中国の習近平国家主席にも通じている。習氏は江沢民元主席の信頼を勝ち得て、中国の最高指導者に選出された。習氏は胡錦濤主席の後を襲ったのだが、江氏が胡氏の後継者として習氏を指名したのは、上海閥のトップとして江氏が長老支配政治を敷くのに適当な人物だと思ったからだとみられる。

 まさか江氏の信頼を裏切って、習氏が独裁体制を敷くとは考えていなかっただろう。習氏は父親が副首相や政治局員を務めた習仲勲氏であり、江氏から見えれば、習氏は「古参幹部のボンボン」で、政治的能力もほとんどないため、単なる操り人形だった。つまり「安全牌」だったのだ。江氏が築き上げた上海閥の中枢の最高幹部を腐敗撲滅の名目で次々と失脚させて、習氏が江氏以上の独裁者になるとは、よもや思わなかったであろう。

 これは李登輝氏にも通じる。蒋氏は李氏が国民党の独裁体制を破壊して、政治の民主化を推進しようとは想像だにしなかったに違いない。

 その意味では、李氏と習氏は同類と見ることもできるが、かたや李氏は亡くなるまで自身の名声を汚さず、安穏と死を迎えることができた。一方の習氏は自ら強気の外交を展開したため、米中新冷戦を招く羽目になった。国内政治でも自身が目指している終身主席制に反対の声が強く、李克強首相や、江氏や胡氏ら長老指導者と激しい権力闘争を展開しているとの見方もあり、自身の政治基盤は安穏とはいいがたい。

 つまり、習氏は李登輝氏とは違って、今後、習氏を待っているのは茨の道だけなのである。

(文=相馬勝/ジャーナリスト)

相馬勝/ジャーナリスト

相馬勝/ジャーナリスト

1956年、青森県生まれ。東京外国語大学中国学科卒業。産経新聞外信部記者、次長、香港支局長、米ジョージワシントン大学東アジア研究所でフルブライト研究員、米ハーバード大学でニーマン特別ジャーナリズム研究員を経て、2010年6月末で産経新聞社を退社し現在ジャーナリスト。著書は「中国共産党に消された人々」(小学館刊=小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞作品)、「中国軍300万人次の戦争」(講談社)、「ハーバード大学で日本はこう教えられている」(新潮社刊)、「習近平の『反日計画』―中国『機密文書』に記された危険な野望」(小学館刊)など多数。

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