「法律が変わって、無期雇用になれると聞いていたのに、専修大学に拒否されて驚きました。勤務している他の大学ではすべて無期雇用が認められているのに、おかしいですよね」
こう憤るのは専修大学で非常勤講師を務めている福岡悦子さんだ。2007年から英語講師をしている福岡さんは去年12月、大学に無期雇用への転換を申し込んだが、翌月、「拒否」の回答が大学からあった。
同じく専修大学で30年間ドイツ語の授業を担当している小野森都子さんも、やはり無期雇用への転換を大学に拒否された。
「専修大学で30年間非常勤講師を続けてきました。長期間劣悪な環境で過ごしてきたのに、非正規で働く人の待遇の改善を目的にした法律をねじ曲げようとするのは許せません」
2人とも複数の私立大学や公立大学で非常勤講師として勤務していて、すべての大学で無期雇用が認められた。専修大学だけが頑なに拒否しているという。
非正規の有期契約で働く人が、無期雇用への転換を申し込めるようになったのは、2013年の労働契約法の改正からだ。2013年の4月以降に5年以上勤務した場合には、本人からの申込によって有期労働契約から無期労働契約に転換できることを定めた。法改正は有期契約で働く人の地位の安定と、労働条件の向上が目的だった。
一方、10年経たなければ無期雇用に転換できないという例外もある。大学や研究開発法人の研究者や技術者、教員などについては、無期労働契約に転換する期間を特例として5年から10年に延長する法改正が2014年に施行された。法律名が成立時とは変わり、現在は「科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律(以下、科技イノベ活性化法)」という。
科技イノベ活性化法は、一般の非常勤講師は対象にならないと考えられてきた。しかし専修大学は、非常勤講師は科技イノベ活性化法の対象になると主張し、非常勤講師など有期雇用で働く人ほぼ全員について、5年での無期転換を認めていないという。
福岡さんと小野さんは、無期契約の権利を有する地位にあることの確認と慰謝料の支払いを求めて、今年4月に専修大学を提訴。新型コロナウイルスの影響で裁判日程がなかなか決まらなかったが、9月17日にようやく第一回口頭弁論が開かれた。
科技イノベ活性化法で5年無期転換拒否は専修大学だけ
裁判に先立って9月15日に、原告である福岡さんと小野さん、それに弁護団が厚生労働省で記者会見した。
そもそも科技イノベ活性化法による10年での無期雇用転換は、研究開発業務などのプロジェクトに従事する研究者が、5年未満で雇い止めをされる事態を防ごうと、京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授らの提言によって法改正された経緯がある。
弁護団の田渕大輔弁護士は、専修大学は科技イノベ活性化法と関係ない非常勤講師に、5年での無期転換を認めない専修大学のやり方は「脱法的な運用だ」と指摘。「語学を教える非常勤教員に適用するのは悪質だ」と主張した。
会見に同席した首都圏大学非常勤講師組合(以下、非常勤講師組合)によると、「科技イノベ活性化法を理由に非常勤講師の無期転換を拒否した大学は、専修大学以外には聞かない」という。労働契約法の改正から5年が経過する2018年3月末までには、非常勤講師を5年未満で雇い止めしようとする動きが東京大学や早稲田大学など多くの大学で起きた。非常勤講師組合でも、各大学と団体交渉して、雇い止めをしないように説得した。
その結果、首都圏ではほとんどの大学が法の趣旨を理解して、非常勤講師の無期転換に応じた。非常勤講師組合によると、現在でも慶応義塾大学や中央大学が「10年経たないと無期転換できない」と主張。早稲田、法政、立教など、労働契約法改正後に採用した非常勤講師に、10年での無期転換を適用しているケースもある。
ただ、10年での無期転換を主張している大学は「大学の教員等の任期に関する法律(以下、任期法)」を根拠にしている。任期法はあくまで2013年度に無期転換権が発生しなかった人に特例として10年が適用されるもの。慶応義塾などの主張には問題点もあるが、10年で無期転換に応じる考えを示しているという。ただし、日本大学は2016年度以降に採用した人を、法律に関係なく5年で雇い止めしている。
専修大学は、独自の法解釈で5年での無期転換を拒んでいることになる。田渕弁護士は「不合理な理由で無期転換を拒むこと自体が違法だと考えています。裁判所の見解を問いたい」と提訴の意義を説明した。
無期転換拒否は法の目的に沿っているのか
9月17日の第1回口頭弁論では、専修大学側から答弁書が提出された。原告の主張に対して争う姿勢を見せている。主要な反論は、次のようなものだ。
答弁書によると、原告の福岡さんは英語教育学を研究し、小野さんは独文学の研究をしていたので、「科学技術に関する研究者」に該当する、と指摘。さらに、労働契約法や科技イノベ活性化法は業務内容や労働契約の内容を限定していないとして、2人には科技イノベ活性化法が適用される、と主張しているのだ。
科技イノベ活性化法には業務内容が書かれていないので、研究開発の技術者に限定するものではないということだろう。法律の抜け穴を指摘しているともいえる。
5年での無期転換を認めていないことについて専修大学に質問したが、大学側は「係争中のため回答は控えさせていただきます」と述べるのみだった。
一方、原告側は、この裁判で非常勤講師の立場の弱さについても問題提起をしている。田渕弁護士はその趣旨を次のように説明する。
「非正規労働者は使い捨てされ、企業にとって都合のいい雇用の調整弁になっています。雇用は不安定で、雇用主に逆らえば次の契約が更新されないかもしれないと考えると、主張したいことも主張できません。法律が悪用されないように、法の適用を合理的に制限すべきではないでしょうか」
原告の小野さんは、裁判に踏み切った心情を次のように話す。
「自分のためだけではなく、多くの非常勤講師のみなさんのためにも、不安定な雇用を強いられる状況を改めたいと考えて思い切って提訴しました。
雇用の安定があってこそ、優れた研究や教育ができるはずです。若い研究者や非常勤講師のためにも、安心して働ける環境が実現できるように訴えていきたい」
両者の主張は法律の解釈で食い違っている。今後裁判で争われるが、現場で問題が起きていることを考えると、労働契約法と科技イノベ活性化法の趣旨について、監督官庁や国会などでも再度論議されるべきではないだろうか。
(文=田中圭太郎/ジャーナリスト)