今から15年前の2003年7月、五代目山口組(当時)弘道会傘下組織である十代目紙谷一家の若頭が、三重県津市の自宅の玄関先で射殺されるという事件があった。この頃、弘道会傘下組織と住吉会傘下組織が「北関東抗争」と呼ばれるほどの激しい衝突しており、射殺事件の少し前に和解が成立したばかりだった。
それだけに事件発生当初、捜査関係者の間では抗争事件のもつれによるものではないかという見方もあったというが、すぐに捜査線上に浮上したのは同じ紙谷一家組員の白井繁治容疑者だった。そして事件は15年の歳月を経て、急速に動き始める。
メディアではすでに大々的に報じているが、1月10日にタイ警察当局が、国際手配されていた白井容疑者の身柄を潜伏先のタイのロッブリー県で押さえ逮捕したのだ。白井容疑者の逮捕の決め手となったのは、フェイスブックにアップされた同容疑者の刺青姿だった。射殺事件当時を知る関係者は、このように話す。
「射殺事件直後、現在の弘道会の竹内照明会長(六代目山口組若頭補佐、三代目弘道会会長)の激怒ぶりは尋常ではなかった。というのも、竹内会長も紙谷一家の出で、その後に髙山総裁(六代目山口組・髙山清司若頭)の率いた初代髙山組に加入しているのだが、射殺された紙谷のカシラと司興業の大幹部と竹内会長は兄弟分の間柄だった。3人はとても仲が良かっただけに、悲しみも相当なものがあったはずだ」
この関係者の話では、若頭が射殺されたことで、紙谷一家は別の抗争事件で身体を賭けていた現在の総長が十一代目を継承することになった。
白井容疑者の国外への逃亡は、警察当局に逮捕されることを恐れていただけではなく、大物幹部を射殺したことでのその報復を恐れてのものだったのではないだろうか。現在のところ白井容疑者は射殺事件を否認しているため、事件の全貌は明らかにされていない。だが、迷宮入りかと思われていた事件だっただけに、捜査当局の執念が実を結ぶことになるかもしれない。
同じ代目の同じ名称の組織が2つに
白井容疑者逮捕の余韻がまだ残る1月12日、奈良県警は六代目山口組総本部に家宅捜索を行っている。容疑は、六代目山口組・司忍組長の専属調理師とみられる組員が身分を偽って銀行口座を開設し、詐欺の疑いで逮捕されたことによるものだったようだ。
また同じ日に、神戸山口組では中枢組織の四代目山健組が今年初の定例会を開催させた。
「神戸山口組から六代目山口組弘道会系への移籍が頻繁にあるかのように意図的に情報を操作されていると聞くが、実際には四代目山健組を中心とした盤石な体制は何も変わらない。定例会では裁判を抱える小林茂・小林会会長が山健組幹部へと昇進したことが発表されている」(神戸山口組関係者)
小林会長が抱える裁判とは、去年5月任侠山口組系組員に暴行を加えた事件で、この日に懲役2年6月の求刑が言いわたされている。
またこの関係者が話すには、幹部へと昇進を果たした小林会長は、同時に三代目臥龍会を継承したという。
臥龍会とは、五代目山口組・渡辺芳則組長が名付けた組織名で、いったん名称を封印させていたが、神戸山口組結成後に四代目山健組傘下組織として名称を復活させていたのだ。
その後、任侠山口組が発足すると、三代目体制として名称を復活させていた臥龍会が任侠山口組に参画したため、あらためて今回、小林会長が、四代目山健組系組織として三代目臥龍会を継承したという。これによって、同じ代目の同じ名称の組織「三代目臥龍会」が、神戸山口組と任侠山口組に存在することになった。
年明けから活発さを増す六代目山口組と神戸山口組。そして今後、どういった動きを見せるのかが注目される任侠山口組。依然、三つ巴の状態が続く。
(文=沖田臥竜/作家)