一般社会では、12月13日を正月事始めといい、この日から新年を迎える準備に入るといわれてきた。それを受けて京の町、祇園では、芸妓さんたちがこの日に早々と師匠のもとやお茶屋に出向き、新年の挨拶を済ませるという風習がある。
それは芸妓さんである以上「カタギと同じではいけない」という意識から、世間が新年を迎える準備に入るこの日に、一足早く新年の挨拶を済ませてしまうというところから来ているようだが、同じくカタギではない、渡世に身を賭すヤクザ稼業も、12月13日に事始め式と呼ばれる、正月の集まりを行うようになったと伝えられている。
この風習は、祇園の芸妓の世界が発祥といわれていることから、ヤクザの世界でも特に関西で重んじられる行事となっており、山口組でも1年の節目となる大きな行事として毎年執り行われている。
分裂以前の六代目山口組では、毎年12月13日に神戸市篠原にある総本部で事始め式が行われていたが、ここには直参組長と付き従い(付き)の1名が入ることが許されていた。
かくいう筆者も現役時代には12月13日に、仕えさせていただいた自身の親分のお供で何度か総本部へと入っていたが、そこで直参組長たちが交わす挨拶はやはり「おめでとうさん」という新年の挨拶だった。
式に備えて、直参組長ら全員が菱形の代紋が入った紋付き袴に着替えるのだが、着付けの人たちの横でお手伝いするのも付きである人間の役目だった。また、事始め式前日に総本部へと運びこまれた紋付き袴は、ブロックごとに分かれた着替え部屋に置かれるのだが、この各部屋には決まって毎年3枚の貼り紙が貼ってあった。
1枚には、その年、直参へと昇格を果たした組長らがこの日、司組長から盃をおろしてもらう盃ごとが行われる際に座る位置が書かれており、もう1枚には事始め式で各組長が座る位置が記され、残る1枚には参加者の集合写真の立ち位置が書かれている。付きはそれぞれの書かれた紙を見て、自身の親分に所定の位置を伝える役目もあり、何かと気忙しく走り回らなければならなかった。
伝教大師・最澄が説いた「一燈照隅」の意味
12月13日が来るたびに、筆者はそうした過去に想いを馳せるのだが、今年も六代目山口組では例年通り事始め式が挙行された。また、神戸山口組と任侠山口組も、節目となるこの日に同じ兵庫県内で納会を行っている。
六代目山口組は、神戸市篠原にある総本部で事始め式を行い、来年の組指針を去年同様「和親合一(わしんごういつ=和をもって内を固め、悪を包容、浄化していくの意)」と発表。結成後、初めて正月を迎える任侠山口組は、尼崎市に本部を置く傘下団体・古川組で納会を行うと、来年度の組指針を「実践躬行(じっせんきゅうこう=口先だけではいけない。まず行動せよの意)」としたのだ。
そして今回、もっとも注目された神戸山口組は、神戸市福原にある四代目山健組系事務所に集結し、「一燈照隅(いっとうしょうぐう)」という組指針を発表した。
これは、比叡山延暦寺を平安時代に開いた最澄が説いた「一燈照隅 萬燈照国(いっとうしょうぐう ばんとうしょうこく)」から引用したもので、意味としては「一人ひとりが一隅を照らすことになれば、人の和が成り立つ」と組員たちに伝えられたようだ。
「この言葉は、ある有名な親分が渡世から引退し、出家された際に関係者に配られた硯に刻まれていた言葉としても業界では有名です」と、ある実業家は話している。
ただ警戒にあたった捜査関係者の話によれば、事前まで神戸山口組結成後初となる事始め式を執り行うのではないかと見られていたが、開催時間が短時間であったことなどから、今年も昨年同様、納会という簡略化された集会にとどまったのではないかという。
「井上(邦雄・神戸山口組)組長が到着した30分後には、神戸山口組で顧問を務める奥浦 (清司・奥浦組)組長が事務所から出てきていた。本来であれば事始め式に行われる盃ごとを事前に済ませていたからといっても、30分は事始め式としては短すぎるだろう。今年も納会を行っただけではないか」(捜査関係者)
この捜査関係者によれば、この日、執り行われた3つの山口組の会合の中で、神戸山口組の会合にもっとも報道関係者や警戒にあたった捜査関係者が詰めかけていたというが、特段変わったことはなかったようだ。
12月13日、それぞれの山口組が平成30年に向け、始動し始めたのだった。
(文=沖田臥竜/作家)
●沖田臥竜(おきた・がりょう)
2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、『山口組分裂「六神抗」』365日の全内幕』(宝島社)などに寄稿。以降、テレビ、雑誌などで、山口組関連や反社会的勢力が関係したニュースなどのコメンテーターとして解説することも多い。著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任侠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)など。最新小説『忘れな草』が発売中。