『花街の引力 東京の三業地、赤線跡を歩く』(三浦展/清談社Publico)
私は『花街の引力』という本を4月25日に出す。東京という都市は、調べても調べても尽きることのない歴史を持っており、それを調べ続けるのが楽しいのだが、その中でも花街、遊廓、赤線跡地といったものは、最も多くの人々の興味を引く場所であろう。私もそういう東京探訪を3年ほどやってきて、40以上の街を歩いてきた。それを本にまとめたのである。
もちろんこういう本を出すのは、まずもって助平心のためであるが、仮にそれがなくても、都市の歴史を調べるに当たって、これほど多くの事例があり、多様な形態があり、そして生身の人間に関わる場所は他にそうない。
都市を構成する要素だからといって、八百屋や魚屋を調べようと思っても、そもそもほとんど資料がないし、かつて八百屋があった場所を訪ねて面白いかどうかはわからない。やはり、料亭とか温泉とかの娯楽の場所でないと、興味がわかない。
三業地、岡場所、赤線地帯などの夜の歓楽街は、江戸・東京の発展と非常に強く関連している。東京が改造され、市域が拡大されていくにしたがって、それらも増加し、地域的にも広がっていったのである。戦前は、海水浴、温泉などの新しい娯楽が生まれるとともに花街が新たにできたし、日本の旧軍隊や工場地帯との関連も密接だ。戦後はもちろん米軍基地との関係がある。
そういう意味で三業地などを調べることは、近代日本の工業化、軍国主義、戦後の占領、闇市、貧困、女性の性などの歴史を知ることにもつながる。
花街、遊廓には、地域振興の役割があった
それと重要なのは、今の時代にこんなことを言うのは顰蹙物であるが、花街、遊廓には、地域振興の役割があったという点である。だから、花街、遊廓の周辺には、飲み屋、酒屋、銭湯、呉服屋、染物屋、三味線屋、茶屋、布団屋、たばこ屋、小間物屋、あるいは芝居小屋、寄席、映画館、劇場など、様々な業種の店が揃った。現在は料亭や待合などがなくなった地域でも、周辺の店が残っていることがある。それらを見ると、なぜか私は強い哀切の念を感じる。それはおそらく花街などには、どうしても貧困という問題が絡んでいるからである。
私は日本の古い映画を見るのが好きでよく見るが、それらの映画の中の女性はだいたい芸妓、娼妓、カフェーの女給、バーのホステス、妾などを演じている。そうでなければ貧乏な家の女房である。女性が自分で働いて稼ぐとなると、今で言う水商売、風俗の世界しかなかったのだ。働かなくていいのは武士か大商人のお嬢様だけ。しかし、お嬢様は自由に好きな相手とは結ばれない。そういう古い映画を見て、その時代・社会に関する本を読むと、映画がまったくのフィクションではなくて、かなり現実を忠実に描いていることがわかる。
今からは想像もできないような苦労が昔はあったし、だからこそ厚い人情や堅い義理、あるいは愛憎、悔悟、怨念などの様々な濃い感情があった。そうした感情を追体験するのも花街・遊廓・赤線跡地を歩くことの意義だろうと思う。
最近は若い女性でも遊廓跡などを訪ねることが流行しているようであるが、ただ歩くだけでなく、ぜひ昔の映画を見たり、本を読んだりして、社会や女性の歴史を知るようにしてほしいと思う。
だが近年は、時代の変化、バブル崩壊や官官接待の禁止などによって、芸者を上げて遊ぶということが激減した。花街の建物(遊廓、貸座敷、料亭、小料理屋など)も、1990年代まではまだかなり残っていたようであるが、今はほとんどが消えるか、増改築されて、昔の名残をとどめたものは少なくなった。さらに2000年代に入ると、再開発が盛んになり、かつての闇市、横丁、赤線、青線といった地域がどんどんつぶされて、タワーマンションなどに建て替えられている。
しかし人間というのは面白いというか、勝手なもので、そういう風に古い街が消えていくと、無性にそれらが恋しくなり、今までそんなところに出入りしたことのない人までもが、横丁はもちろん、闇市、赤線、青線地帯までをも残したい、せめて今のうちに見ておきたいと考えるようになった。若い女性が遊廓跡を訪ね歩いたり、吉原にあるカストリ書店という遊廓、赤線などの専門書店に通ったりするような時代になったのである。
「ファスト都市」
かくいう私も昔からこうした場所に関心があったわけではない。1980−90年代のサラリーマン時代には、横丁やガード下の飲み屋に出入りすることはしばしばあったが、だからといってそれらの場所に特に強い思いがあったわけではない。
これらの場所に関心を持った大きなきっかけは、2001年に『大人のための東京散歩案内』という本を書いたことだ。2000年から1年間東京中を歩き廻り、そこで花街、横丁、闇市、銭湯などの面白さに目覚め、さらに2011年に『東京スカイツリー下町散歩』を書いた頃にはすっかりそれらに「はまって」しまったのだ。他の出版物を見ても、こうしたテーマの本は2003年くらいから急に増加している。
しかし2000年にはあったものが2011年には相当消えているのが現実だ。まして今はもっと減っている。ほぼ絶滅危惧種である。木造の茶色い建物がプレハブに建て替わり、そうでなくても新築そっくりさんに壁が覆われたり、屋根が葺き替えられたりした。街はなんだか白っぽくなり、明るく清潔になったが、白々しすぎて、味わいがなくなった。お袋の味がファストフードに変わったようなものである。都市が日本中同じ、いや世界中同じような「ファスト都市」になったともいえる。
これらの街がつぶされるのは防災上の理由だといわれる。火事になるとあっという間に燃え広がる。路地が狭いから消防車も救急車も入れない。だから再開発してビルにするというのだ。
おそらく今後も長期的に見れば、かつての花街、三業地、闇市、横丁の類は、まだまだ消滅していくだろう。もちろん、それらを活かしながら街をつくり直すという活動も盛んになってきてはいる。だが、建物が古い木造のまま残るとか、街並みが残るということはあまり期待できない。
となれば、やはりそれらの場所を今のうちに訪ね歩いて、最後の記録をすることが重要であろう。それは、先ほど書いたように、近代日本の産業、軍国主義、占領、貧困、女性の歴史を記憶することにもつながる。逆に言えば、それらの場所が消えれば、その場所にまつわる記憶も消える。
最近の若者には日本がアメリカと戦争をして負けたこと自体を知らない者すらいる。そういう若者がそれらの場所を見ても、単なる古い街、汚い街、ごちゃごちゃした街と感じるだけであろう。
だが戦争、敗戦の記憶を街としてとどめておかないと、戦争したことも、戦争に負けたことも、敗戦後にひどい苦労があったことも、想像がつかなくなる。それでいいのか。やはり歴史と街の関係を記憶しておく必要がある。それが本書の意図である。
(文=三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表)
【目次】
序章 花街とは何か
第一章 境界の街(二子玉川、二子新地/亀有、金町、松戸/森ヶ崎、穴守/平井、新小岩、小岩)
第二章 近郊(北千住/立石/大井、大森/高円寺/中野、新井薬師/中野新橋/阿佐ヶ谷)
第三章 山手線界隈(駒込、王子/大塚/渋谷円山町/五反田/新宿十二社)
第四章 都心(湯島、根津/白山/四谷荒木町/人形町/芝浦/麻布十番/赤坂)
第五章 下町(玉の井、鳩の街/南千住/洲崎/尾久/亀戸)
第六章 郊外(八王子/立川/新丸子)