教員の変動は中学生の成績表にどの程度影響があるものなのか――。そう考えさせられる記事をNEWSポストセブン(小学館)が13日報じた。同記事『千代田区の名門公立中学校で通知表に「1」を連発した新校長の主張』によると「髪型・服装自由」「宿題なし」「中間・期末テスト廃止」など、先進的な教育スタイルを導入していた東京都千代田区立麹町中学校で、生徒たちの成績表に異変が生じたのだという。
同校では工藤勇一・前校長の指導のもと宿題や定期テストの代わりに、授業の進捗ごとに単元テストと呼ばれる小テストを受ける方式を採用。教育改革を主導する同校長を慕い、同校に入学する生徒・保護者も多かったという。
しかし、人事異動によって校長が代わったころから、先進的な教育スタイルを踏襲したテストのやり方は変わらないのに、生徒たちの成績表は一変。今までなかった「1」が複数付くようになったり、「3」だった評価が「2」になったりした生徒が続出したのだという。生徒の授業態度などの受け取り方が、校長の異動に伴って再評価された結果のようだ。
継続的に90点台をマークしても新教員が来たら「5」が「4」に
「記事を読むと、親御さんたちが教育の継続性の問題で戸惑っていることがわかります。工藤校長はメディアでも注目された教育者で『全員5をつけてもいい』というスタンスだった人。ところが校長が代わった途端に評価法が一変したことで、一部の生徒や親御さんの間で失望が広がっていた。私が後追い取材したときも『生徒の態度が気に入らないからといって、恣意的に成績を悪くするようなことがあっていいのか。態度が気に入らないのであれば、しかるべき教育を行ったうえで評価するのが学校側の役割の一つであるはずだ』という声を聞きました。成績表の評価基準はどうあるべきか、評価のグレーゾーンをどう考えるのかという問題は、今後も検証されなくてはならないと考えています」(週刊誌記者)
麹町中学校のように教員が代わると成績表の数値に影響が出るケースはあるのだろうか。昨年まで横浜市の市立中学校に通っていた男子生徒の保護者は次のように振り返る。
「確かに疑問に思ったことがあります。社会科の担当教員が1年から2年に上がる時に代わった時です。うちの子は中学校3年間、ずっと定期テストで90点台をキープしていましたし、課外学習や長期休暇中の自由研究もがんばっていたのですが、担当教員が代わったとたん『5』が『4』になり、それから上がることはありませんでした。
はっきりと明言はなかったのですが、担任の先生との保護者面談によると、どうやら授業中に友達と授業内容に関しておしゃべりしてしまうところが問題視されたとのことでした。
以前の担当教員は『生徒の学ぶ姿勢』を重視するアクティブラーニングの実践者で、授業中にディスカッションやフリートークの場を設けていたのですが、新しい教員は黙って静かに授業を聞くことを求める方針だったようです。神奈川県では中学2~3年時の内申点が、高校受験時に採用されます。受験を踏まえ、他のお子さんも頑張って勉強していたので、相対的にうちの子の評価が下がったということなのかもしれませんが、当時は親子ともどもショックを受けました。」
保護者や子どもたちの疑念を招かないためには、どのような評価システムが必要なのだろうか。教育ジャーナリストの中曽根陽子氏に聞いた。
中曽根氏の見解
テストの点だけではなく、多面的に生徒を評価しようというのが内申点の考え方です。しかし、なにをもって評価をするのかは、各学校の「集団の質」で意味合いが変わってきます。例えば、同じ「5」でも、どの学校の「5」なのかでは違います。もちろん、学校によってテストも違います。別の学校に行けば「3」が「5」に変わることもあるのです。
また、同じようなテストの点を取った生徒に対して、提出物や発言、態度というところで評価をつけていかねばなりません。先生も大変だと思うのですが、絶対評価であるのなら、評価の観点を説明する必要性が生じます。つまり、「こういうことによって、こういう点になった」ということを、子どもと保護者に理解してもらうことが必要になります。その観点というか、基準を可視化できれば、お子さんや保護者のかたも疑念も生じないのではないかと思います。つまりは、「納得の問題」なのではないでしょうか。
記事を読む限りでは麹町中学校の件も保護者の方々が納得できるかどうかの問題だと思います。「なぜ評価が厳しめになったのか」について納得できる説明があれば、誰しも「仕方がない」と思います。つまり「なぜ」の部分が、あいまいであるところが焦点なのではないかと思います。
その時々に生徒が属している集団の質というのは、誰もいじることができません。麹町中では前校長の工藤勇一先生が赴任したことで、学校の人気が上がり、工藤先生の教育を受けさせたいと思う保護者の皆さんが集まりました。工藤先生の「全員が『5』でもいいんだ」「やったらやっただけ評価をすればいい」という考え方はありだと思います。ただ、校長先生にはそれぞれの考え方もあり、変えていく点もあったのではないかと思います。
しかし、それらが公教育であり、受験に関係し、後の進路に大きく影響が出るということもしっかり考えないといけません。
現在の一般的な成績評価のやり方だと、「提出物をきちんと出す」とか「先生の印象を良くするために発言を多くする」というように、教員が生徒の学び方のコントール権を持ってしまうケースがあります。「誰のための教育なのか」を考えた時、頑張っているところをプラスに評価していくシステムが必要なのかもしれません。日本の公教育は長らく減点主義でした。積極的に授業や学校生活に臨んでいる点を評価し、その基準をできるだけはっきりさせ、子どもたちに納得できるものにしていくということが大事なのではないでしょうか。
教育は基本的に「子どもたちを伸ばしていく」ことが目標です。アクティブラーニングを含め、日本は今後、子どもたちの積極性や主体的に学ぶ態度を重要視していく方針です。公教育の方法や方針が、激変してしまうのは問題だとは思うのですが、今の中学校の成績評価や高校受験の方式では「後から伸びてきたのに、それが評価につながらない」とか、「最後の最後ですごく頑張ったけれど、内申点に反映されない」などというケースが生じてしまっています。
その結果、高校受験はすっかり序列化してしまいました。子どものモチベーションをいかに上げていくのかは問われず、学校や教員が「あなたの成績ではここの高校です」と落とし込んでいくシステムが出来上がっているのではないでしょうか。
そうしたシステムが健在な一方、「成績表や内申点だけではなく、ポートフォリオのような活動歴を重視していきましょう」という風潮が高まっています。このまま、なにが評価されているのかわからないような状況だと、生徒や保護者に不信感が生じる可能性があるのではないでしょうか。
例えば、学習到達度を示す評価基準を、観点や尺度で図表化する「ルーブリック評価」というものもあります。「今の目当てはここで、それに対してこういうことができればよい」というように、評価者による評価の偏りを少なくしつつ、課題を明示し、自分の立ち位置を納得してもらい、子どもたちが自主的にそれをクリアしようと思えるような仕組みが必要なのかもしれません。
今後は、子どもたちの主体的な学びを高めていけるような評価システムの構築が求められていくのではないでしょうか。
(文・構成=編集部、協力=中曽根陽子/教育ジャーナリスト)