新型コロナウイルスの世界的拡散が深刻化した今、今夏の東京五輪・パラリンピックの中止論が、有識者だけでなく、世論でも大々的に叫ばれるようになった。私も「五輪中止」を訴える一人だが、最近になって以下の名句がなぜか、脳裏をよぎるようにもなっている。
「オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある」
近代オリンピックの父ピエール・ド・クーベルタン男爵が提唱したとされるこの言葉は、実のところクーベルタンのオリジナルではない。
1908年のロンドン大会。米英の対立で嫌がらせを受けたアメリカ選手団にセントポール大聖堂の主教が語った言葉であり、それに深く共感したクーベルタンが自身のスピーチで引用するようになったのが真相である。
実際、クーベルタンは「世界平和の象徴」としてのオリンピズムを掲げており、あるべきオリンピックの理想の姿をこんな名句で表現している。
「人生にとって大切なことは、成功することではなく努力することである」
ナチスドイツのプロパガンダに利用された1936年のベルリン大会や、大戦による中断はあったものの、アマチュアリズムを母体とするオリンピックのあり方が、1896年の第1回アテネ大会以来、長く継承されてきたのも、このクーベルタンが一貫して提唱してきた「オリンピズム」と無縁ではないだろう。
ただし、それも1976年のモントリオール大会までの話である。
テレビ放映権料の高騰=「ビジネス五輪」へ
オイルショックによる石油の高騰に加え、前回ミュンヘン大会でのテロ事件を教訓とした警備コストの高騰などによって、同大会は10億ドルもの巨額の赤字を生んだ。これによって世界の大都市は五輪招致に及び腰になり、翌1977年に行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会では、唯一手を挙げた米ロサンゼルス市が労せずして1984年の五輪開催地に決定した。そして、ここからクーベルタンが掲げた五輪の意義そのものが、一気に形骸化していく。
ロス五輪では、元企業経営者のピーター・ユベロス氏が大会組織委員長として辣腕を振るった。まず行ったのが、大幅なコストダウンである。ロサンゼルス市自体が大幅なインフラ整備の必要がなかったものの、五輪のために新建築したのは競輪場と競泳場のみで、メイン競技場は半世紀前の最初のロス五輪の会場を使用した。選手村も大学の学生寮を使用している。
一方で、五輪に経済的価値を加えるため、民間の活力に頼った。テレビ放映権料に関しては、米4大ネットワークに競合させることで一気に跳ね上げる策に出た。その結果、ABCと約450億円で契約。モントリオール大会のテレビ放映権料が、わずか3500万ドル(現在の価値で約38億円)にすぎなかったことを考えると、これは五輪の常識を覆す桁違いの数字と言えるかもしれない。
さらに、スポンサー企業の五輪ロゴマーク使用に関しては、企業間の競争意識を煽ることで高額な協賛金を集めることを目的に、「1業種1社のみ」「計30社まで」と決めた。キャラクターグッズの販売を強化し、「1キロ3000ドル」の有料聖火ランナーも募るなど、五輪に商業色を加えるためにあの手この手を使っている。
こうして、ロス五輪は400億円もの黒字を計上し、以後、このビジネスモデルが五輪運営の主役となっていく。
だが、この五輪の商業主義の移行によって、オリンピズムそのものが崩壊し、それによる弊害が生まれたことも事実だろう。
まず、スポンサー企業の発言力が強まったことでビジネス色が増した。ロス五輪が猛暑の中で行われたのも、アメリカンフットボールのシーズンやメジャーリーグのプレーオフと時期が重ならないようにするための米テレビ局の意向が反映されている。以来、真夏の五輪開催は慣例化され、2度目の東京五輪・パラリンピックも真夏の開催が決まった。
「プロ化」によるドーピング&審判買収疑惑…
一方で、選手のプロ化も進んだ。その結果、スポーツがどうなってしまったか。早い話が、クーベルタンのオリンピズムとは真逆の「オリンピックは参加することではなく、勝つことに意義がある」とする、スポーツ界における「勝利至上主義」の蔓延である。
これにより、ロス五輪以降は禁止薬物使用のドーピング問題が急増した。1988年のソウル五輪の陸上100mでは、世界記録で金メダルを獲得したベン・ジョンソン(カナダ)の尿からステロイド系の陽性反応が出た(世界記録は取り消され、金メダルも剥奪)。1998年のツール・ド・フランスでも大量のドーピングが発覚。事態を重く見たIOCが、世界反ドーピング機関(WADA)を発足させる契機となっている。
さらに、2016年にはロシアによる国家ぐるみのドーピング隠蔽工作も発覚。WADAがリオデジャネイロ大会からのロシアの除外を勧告し、スポーツ仲裁裁判所(CAS)もこの勧告を支持した。
五輪の商業主義がもたらした弊害は、こうしたドーピング問題だけではない。
ソウル五輪のボクシング・ライトミドル級決勝では、不可解な判定で韓国人選手が金メダルを獲得したが、のちに審判が韓国に買収されていたことが判明した。バンクーバー冬季五輪(2010年)でも、スポンサーがらみの審判買収嫌疑が浮上している。
かと思えば、2008年の北京大会のテコンドー男子80キロ級の試合では、試合運営の不手際にいらだったキューバ選手が審判を蹴るという暴挙に出た。同大会のレスリング男子でも、判定を不服としたスウェーデン選手が銅メダルを放置したまま会場を後にした(のちにメダルは剥奪)。日本のスポーツ界に目を向けても、パワハラ疑惑や日本大学アメフト部の悪質タックル騒動など、反オリンピズムに根ざした問題が次々と表面化している。
こうした不祥事の原因のすべてが、スポーツ界に蔓延する商業主義や、そこから派生した勝利至上主義にあると言うつもりはない。確かに、ロス五輪以前にも興奮剤を使用した競輪選手が死亡したり、マラソン銅メダリストの円谷幸吉が自死を遂げたりと、悲しい事件や不祥事が五輪史に刻み込まれてきたのは事実である。
だが、それらが急増したのは、果たしていつからだったのか。37年前のロス五輪の開催が大きな分岐点になったと感じているのは、おそらく私だけではないだろう。
クーベルタンが教育の一環として目をつけた近代スポーツは、イギリスが発祥の地だと言われている。その主な担い手は同国の高校生や大学生たちで、ルールや規則を整備することによって、「気散じ」や「娯楽」に仲間が集うことへの有用性や意義を付加させた。それが、近代オリンピックの礎になっている。
感染の拡大が留まることを知らない新型コロナの猛威。これを機に、今夏の東京五輪・パラリンピックは中止し、スポーツのあり方をもう一度見直すべきではないかと、私は思っている。
(文=織田淳太郎/ノンフィクション作家)