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しかし、何でも許容される環境で育った麻生氏は、そんなことをする必要などなかったはずだ。必要がなければ、想像力は育たない。だから、(2)想像力の欠如が認められるのは当然で、自分の発言がセクハラ被害者をどれほど傷つけるかも、公文書への信頼性がどれほど失われるかも想像できない。もちろん、大衆の反感と怒りをどれほどかき立てるかも、批判をどれほど浴びるかも想像できない。いや、そもそも想像してみようとさえしない。
そのうえ、麻生氏には(3)自覚の欠如も認められる。セクハラも公文書改ざんも、自らがトップを務める財務省で起こった不祥事であるにもかかわらず、真摯に反省する姿勢を見せない。トップとして責任を取るつもりもないようだ。これは、(1)強い特権意識ゆえに、自分だけは何でも許されると思い込んでいるからだろう。
偉大な祖父への同一化
麻生氏が問題発言を繰り返す一因として見逃せないのが、祖父の吉田茂への同一化である。同一化とは、「あの人のようになりたい」と願い、その言動を模倣することであり、われわれは知らず知らずのうちに誰かへの同一化を繰り返している。たとえば、仕事ができて、人望もある上司や先輩がいたら、仕草や話し方をまねることがあるが、これも同一化の一つにほかならない。
誰に同一化するかというのは、人格形成において非常に重要だ。同一化の対象が、麻生氏の場合は祖父の吉田茂であるように見える。吉田茂は、国会で野党の質問者に対して「バカヤロー」と発言したため、野党に懲罰動議を提出され、衆院が解散したほど(「バカヤロー解散」)、暴言で有名だった。
もしかしたら、麻生氏は偉大な祖父に同一化しようとするあまり、暴言を吐くことが祖父に近づく道だと思い込んでいるのかもしれない。もっとも、政治家として大きな実績を残した祖父と比べると、少なくとも私の知る限り、麻生氏にはこれといった実績がなさそうだ。だからこそ、よけいに暴言が目立つのかもしれないが、われわれ国民にとっては耳障りである。
(文=片田珠美/精神科医)
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