たとえ自分には必要がなくても
一方で、テレビから韓流を排斥しようという動きは、いささか滑稽でもある。
若者たちはテレビをあまり見なくなり、ネットを利用する時間のほうが多くなっている時代である。ファンの多くがYouTubeなどネットメディアやライブで贔屓のアイドルのパフォーマンスを楽しんでいる場合、いくら韓流芸能人をテレビから排斥しようと躍起になっても、彼らの活動にはさほど影響を及ぼさないだろう。
政府による昨年度の「外交に関する世論調査」によれば、男性は多くの世代で65%以上が韓国に「親しみを感じない」と答えているのに対し、18~29歳の女性は66.7%が「親しみを感じる」と回答している。この若い女性層が今の韓流ブームの支え手。彼女たちは、テレビからの韓流排斥を叫ぶ嫌韓おじさんたちとは接点も持たないようにして、自分たちの流儀で好きなものを追い求めているのではないだろうか。
私は、日本の漫画や音楽、映画などの大衆文化が厳しく制限されていた時期の韓国に、何度か行ったことがある。金大中大統領が「日本の大衆文化解禁の方針」を表明し、順次開放が始まったのは1998年10月だが、それ以前にもう若い人たちの間では日本のアニメや音楽がブームになっていた。ネットを活用し、あるいはファン同士で情報交換し合って日本の文化を楽しんでいたのだ。
ある時、私が訪ねた女の子の家には、「日帝時代」を知っている祖母が同居していて、私の存在を知ると、「日本人なんか(家に)入れるんじゃないよ!」と叫んでいた。女の子は祖母の声を無視し、自分が集めたたくさんの日本のアニメや音楽のテープやデータ、日本人タレントの写真などを私に見せてくれた。
いずれ日本は、あの当時の韓国のように、嫌韓おやじが「韓国人を叩き出せ」と叫んでいる家で、10代の娘がスマホでK-popを楽しみ、韓流アイドルの画像や映像を集め、お小遣いを貯めてライブに出掛ける……というようになるのだろうか。というより、すでになっているのかもしれない。
「韓流なんかいらない」--そう叫ぶ人たちも少なくない。私自身もK-popには興味がなく、個人的には必要性を感じない。
しかし、自分に必要性がないものは排除してよいという発想は、よろしくない。そんなことになれば、声の大きい者が必要とし、力の強い者が認めるものばかりになって、文化の多様性はたちまち失われてしまう。
自分に必要ない、興味がない、むしろ嫌いなものも、それを必要としている人、興味を抱いている人がアクセスできるようにするのが大事。それが、表現の自由を守る、ということだ。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)