忘れ去られた「一大食品公害」
食品公害事件の被害者でありながら泣き寝入りを強いられ、子どもや孫にまで及ぶ深刻な健康被害の事実を隠し、世間からも完全に忘れ去られていた――。そんな「カネミ油症」事件の現状をルポした記事『カネミ油症の被害者達は今』を筆者が書いたのは、今から23年前の1998年のことだった。1968年の同事件発覚からちょうど30周年の節目の年だった。
市販されていた食用米ぬか油に、猛毒のPCB(ポリ塩化ビフェニル)やPCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン。ダイオキシン類の一種)が混入していたことで発生した同事件の被害者はおよそ1万4000人。このうち、国が被害者として認めている「油症患者」は2021年3月現在、2353人である。
彼らの体に現れた症状は、塩素痤瘡(ざそう。塩素ニキビのこと)や嚢腫(のうしゅ)をはじめとした重篤な皮膚症状、流産、発がん、生殖器官の異常、皮膚への黒い色素沈着など。こうした症状は、毒入り油を食べていない子や孫にも現れている。従って、実際の被害者数は2000人程度ではとても収まらない。
だが、被害者たちは自身や子どもたちへの差別を恐れ、被害者仲間以外には決して口外せず、泣き寝入りしてきた。だから、残酷な被害に見舞われていたカネミ油症被害の実態に皆、気づかなかったのである。しかも驚くべきことに、被害者に対する救済策は何一つとしてなかった。
筆者のルポは、“すでに解決済み”と思われていた食品公害に改めて注目が集まる端緒となった。
重篤な健康被害に対し、貧弱極まりない「救済策」
そのルポが発表されてから約10年後の2007年、カネミ油症被害者の救済策が初めて実現した。「カネミ油症特例法」(カネミ油症事件関係仮払金返還債権の免除についての特例に関する法律)が国会で可決・成立したのである。この時、事件発覚からすでに40年もの歳月が流れていた。
被害者が国や原因企業を訴えた民事裁判では、被害者らがいったん勝訴した際に仮執行された賠償仮払金が、多くの被害者たちに分配されていた。だが、裁判が進むにつれて被害者側の敗色が濃厚となり、被害者側は裁判の途中で国への訴えを取り下げる。これにより、受け取っていた賠償仮払金を返すよう国から請求される「仮払金返還問題」が発生。体調を崩して働けなくなっていた被害者の多くは、生活費や医療費などで仮払金を使い果たしていたため、国から返済の督促を受けた被害者の中には、自殺する者や離婚に追い込まれる者も出た。
さらにはこの債務、子どもや孫へと相続されるため、この問題が半永久的に続く恐れもあった。カネミ油症被害者は、残酷な健康被害の上に、国からも追いつめられるという、まったく救いのない状況下にあった。
成立した法律は、国への仮払金の返済を事実上免除するというものだ。実は国にとってもメリットのある法律であり、仮払金の返還がすべて終わらない限り、カネミ油症被害者への督促作業は延々と続くこととなり、その事務作業にかかる経費はいずれ仮払金の総額を上回ってしまうことが予想されていたからだ。
一方、被害者にしてみれば、“国への借金返済”という呪縛からようやく逃れることができたものの、「救済策」という点からみれば、マイナスの地点からやっとスタート地点に戻れたようなものだった。
続いて、5年後の2012年には「カネミ油症救済法」(カネミ油症患者に関する施策の総合的な推進に関する法律)も可決・成立。「何の救済策もない」という状況は、少しずつではあるものの改められつつある。しかし、現状のカネミ油症被害者への「救済策」の中身を点検すると、
・国が毎年実施する健康実態調査への「協力金」として年に24万円。
・毒入り油を販売した加害企業のカネミ倉庫による「医療費負担」。ただし健康保険の本人負担分(国民健康保険なら3割)のみで、それでもカネミ倉庫に請求した際に値切られたり、治療で入院した際の食費の支払いを拒否されたりするケースもある。
・被害者が「油症患者」として認定された際にカネミ倉庫から支払われる「見舞金」23万円と、被害者が亡くなった際にカネミ倉庫が支払う「香典」2万円。
といった有様である。事件で受けた重篤な健康被害に対し、なんとも貧弱な「救済策」というほかない。
このようなことになっている最大の理由は、カネミ油症による健康被害の規模が大きいうえに、被害者一人ひとりの症状も多岐にわたり、完治が困難で治療が長期にわたる病気が多いため、一企業ではそのすべての損害を賠償できない――ということである。
カネミ油症事件では、カネミ倉庫が倒産してしまうと医療費負担をする者がいなくなるとして、国がカネミ倉庫に政府米を預ける形で同社の経営を支えており、国が加害企業を事実上支援するという、とても道理に合わない話が数十年も続いている。カネミ倉庫は現在、国から受け取っている政府米保管料年間約2億円のうち、約1億円を被害者の医療費として手当てし、残りの半分は自分の懐に入れている。被害者を人質にして、税金で援助してもらっているということもできよう。
さらには、病因物質のPCBを製造し、カネミ倉庫に販売して利益を得ていた鐘淵化学工業(現在のカネカ)は、カネミ油症被害者への救済に一切関わろうとしていない。これが、カネミ油症被害者「救済策」の実態だった。
(文=明石昇二郎/ルポライター)
(続く)