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サウナブームの裏で“本当にあったヤバい話”…入れ墨の客に注意した結果

文=織田淳太郎/ノンフィクション作家
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サウナの室内(「gettyimages」より)
「gettyimages」より

 関東地方のとある田舎町のサウナ付き温泉施設。つい先日、私がそのサウナに入ろうとすると、入り口付近に座る初老男性に「ちょっと」と声をかけられた。

「体がまだ濡れとるよ。ここはみんなが使うところだからな」

 その横柄な言い方に一瞬ムッときたが、私はすぐに外に出ると体を拭き直し、再びサウナに戻った。

「悪いね、兄さん」

「いえ」

 と無愛想な返事を投げつけて、その男性に改めて目を向けた。下段の側面壁に背中を預け、足を伸ばして横向きに座っている。左腕は威張ったように上段の席にダランと置かれていた。

 10人も座れば満杯になる狭いサウナ室。この男性1人で、少なくとも4人分の席を独占している。サウナ客は私も含めて6人いたので、これだけでほぼ満員状態だった。

(自分のマナー違反を棚に上げやがって……)

 私が憮然として奥の上段に腰掛けていると、今度はその男性が子分らしき他のサウナ客に、大声で話し始めた。

「だいたいこの界隈では、コロナ患者なんかほとんど出てないんだぞ。他県からやってくる奴が一番危ないんだ。そう思わねぇか?」

 子分らしきサウナ客が何を答えたのか、よく聞き取れなかったが、男性が私を二、三度ふり返ったので、もしかしたら初めて見る私を他県から来た「一番危ない奴」だと思ったのかもしれない(私は他県の人間ではないが、自宅は相当離れている)。

 それよりも何よりも、「黙浴」が暗黙の了解になっている温泉施設の、しかも、狭いサウナ室。コロナの飛沫感染の拡大が懸念される今、大声で喚き散らすことが、ギューギュー詰め状態の他のサウナ客にどんな不安を与えるのかを、この男性はわかっているのか……。

 男性のおしゃべりは止むことなく、私は汗をかきながら次第にイライラしてきた。

(こいつにリベンジするなら今だ……マナー違反を指摘してやろう)

 そう何度も思い、言葉を発しかけたが、結局はすごすごとサウナ室を出た。こうなったら、もうサウナに入る気持ちも失せていく。その男性と、またサウナ室で鉢合わせしないとも限らない。そうなると、さらに文句を言いたくなる衝動に駆られ、フラストレーションが溜まる一方……。

 私は一風呂漬かると、脱衣場に向かった。

全身入れ墨の男たちがヒソヒソ話

 2019年に始まったドラマ『サ道』(テレビ東京系)の影響もあり、今やサウナブームである。キャッチフレーズは「ととのう」。サウナと水風呂の相互作用でデトックス効果が高まり、それにより日々の疲れがリセットされるという謳い文句が、このストレス社会におけるサウナ人気を生んでいるのかもしれない。ランナーズハイのような快感を得られると言われている。

 私も若い頃からのサウナ愛好家である。不摂生だらけの運動不足に陥ってからは、週に二度のペースでサウナを利用するようになった。そうは言っても、サウナには『サ道』が描くようなパラダイスばかりが待ち受けているわけではない。

 週刊誌記者だった若い頃、沖縄県に取材に赴いたついでに、当地のサウナに入った。沖縄のサウナは初めてだったが、私は息もできないほどの緊迫した心理状態に、いきなり追いやられている。

 狭いサウナ室で4人の大男が、車座を組むように向き合っていた。首から足首まで文字通りの総入れ墨である。その姿態にまず圧倒されたが、私が入ってきたときに向けられた射るような鋭い眼光にも立ちすくんだ。

 私は隅の方に身を小さくして座った。入れ墨4人組が、時折私をうかがいつつ、顔を寄せ合って何かを話し合っている。

 野球強豪校の名前が聞こえてくる。「ハンデ」「1.2(倍)」などという言葉も、小さく耳に届いてきた。時期は夏の真っ盛り。ちょうど高校野球の甲子園大会が始まる頃だった。

(野球賭博の元締めかも……)

 そう思うと、恐ろしくなって、居ても立ってもいられなくなった。私は満足な発汗を待つことなく、サウナ室を出ると、そのまま店を出て行ってしまった。

返金なしで強制退店させられた若者

 サウナには入れ墨の人が多く訪れる。私がそういう感覚を抱くようになったのは、前述の経験もさることながら、都内の歓楽街のサウナで入れ墨客をよく見かけたからである。「入れ墨お断り」の看板があっても、彼らは足を大きく広げ、堂々と汗を流していた。

 もちろん相手が凶暴そうか否かを見極めてからだが、血気盛んだった若い頃の私は、何度か彼らにこう注意したことがある。

「入れ墨の人は、ここダメなんじゃないですか?」

 その結果、あわや殴り合いに発展しかけたこともあれば、逆に「私はもう堅気になりました。どうか堪忍してくださいね」と平身低頭されたこともある。確かに、入れ墨があるから凶暴というわけではなく、入れ墨がなければおとなしいというわけでもない。

 プロ野球などのスポーツ中継を観ていると、時折違和感を覚える。タトゥーを入れた外国人選手が目立つ半面、日本人選手のタトゥーは見かけない。歴史や文化の違いから、入れ墨やタトゥーに対する意識が日本と外国ではまるで異なる。偏見と感じるケースすらある。

 観光客相手のサウナ付き温泉施設は、ここ数年「入れ墨入店お断り」を掲げるところが増えてきた。ある田舎町のサウナ付き温泉施設は、玄関先に「入れ墨の入浴不可。入浴後に発覚した場合は、即退去。入浴料金の払い戻しはなし」という旨の看板を大きく掲げるなど、入れ墨対策を徹底している。だが、やりすぎの感もなくはない。

 あるとき、風呂から上がった私が服を着ていると、2人の若者が脱衣場に入って、服を脱ぎ始めた。その1人の左上腕部にあったのは、よく見なければ気づかない小さなタトゥー。どこにでもいるごく普通の若者で、おそらく単なるファッション感覚で彫ったものだろう。

 彼にとって不運だったのは、従業員がその場にいたことだった。

「お客様、入れ墨の方はご入浴できません」

「え?」

 タトゥーの若者は、目を丸くした。

「ダメなんですか?」

「即刻出て行っていただきます」

「せめてサウナだけでも1回」

「ダメです」

「でも、入浴料金は?」

「お返しできないことになっています」

 玄関にデカデカと掲げた「入れ墨入浴不可」の報せ。従業員の方は、それをもって強制退店の正当性を主張しているのだろうが、何だか理不尽な処遇のようにも思えた。

「そうですか……」

 2人の若者は、おとなしく服を着始めた。落胆したように脱衣室を出るその後ろ姿を見て気の毒になったことを、今でも覚えている。

本場のサウナーが語る「瞑想こそ本質」

 人里離れたサウナ付き温泉施設は別にして、地域の温泉施設のサウナには、必ずと言っていいほど「主(ぬし)」になりたがる存在が1人や2人はいる。彼らは我が物顔で狭いサウナ室で横になったり、他人の迷惑顧みず、口角泡を飛ばして仲間とおしゃべりしたりする。冒頭で紹介したマナー破りの男性も、「主」になりたがる1人だったのだろう。

 1年ほど前、自宅近所のサウナに行ったときのこと。このときも、仲間らしきサウナ客に、さかんに甲高い声で話しかける中年男性がいた。私が不快に思ったのと同様、他のサウナ客も不快さを感じていたのは、彼らの表情を見れば一目瞭然だった。その中に、1人の外国人サウナ客がいた。彼もまた、迷惑そうな色をその顔に滲ませていた。

 私が一足先にサウナを出て、水風呂に浸っているとき、その外国人サウナーも水風呂に入ってきた。

「大声で話ばかりしていた、さっきの男性」

 彼は驚くほど流暢な日本語で、私に話しかけてきた。

「あの人はサウナに入る資格がありませんね。ああやってマナーを平気で破る人を、私は日本に来てたくさん見てきました。すごく残念に思います」

 聞けば、サウナ発祥の地・フィンランドの出身だという。それだけに、マナーを踏み外しがちな日本人サウナーの姿に遺憾の思いを募らせているのかもしれない。

 彼は言った。

「サウナで汗をかくとは、静かに自分自身と向き合う、いわば瞑想のようなものなんです。サウナは自分と向き合う人たちが、それぞれの瞑想を共有する場でなければならない。単なる健康面だけでなく、そういう精神性を重視するのもサウナの目的なんです。日本のサウナ好きの人たちには、そのへんをよくわかってもらいたいと思っています」

「サ道」の本質が、ここにある。

(文=織田淳太郎/ノンフィクション作家)

織田淳太郎/ノンフィクション作家

織田淳太郎/ノンフィクション作家

1957(昭和32)年北海道生まれ。ノンフィクション以外に小説の執筆も手掛ける。著書に『巨人軍に葬られた男たち』(新潮文庫)、『捕手論』『コーチ論』(光文社新書)、『ジャッジメント』(中央公論新社)など。

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