政府が6月に発表する感染症対策の抜本的強化策に、関係省庁の司令塔からなる「健康危機管理庁(仮称)」創設を盛り込む方向で検討していることが明らかになった。新型コロナウイルスのパンデミックの経験を踏まえ、新たな感染症への対応を一元化する狙いがあり、設置のための法案を来年の通常国会に提出する意向だ。健康危機管理庁の設置は、岸田総理が昨年9月の自民党総裁選で公約に掲げた肝いりの政策だ。その後トーンダウンしたが、再びクローズアップされた形だ。
健康危機管理庁には内閣官房の「新型コロナ感染症対策室」と厚生労働省の「対策推進本部」などを統合する方針だ。新型コロナ対応の際、内閣官房の推進室は緊急事態宣言の発令や政府の基本的対処方針の策定などを、厚生労働省の推進本部は具体的な感染防止策や医療提供体制などを担ってきたが、「両組織は業務が重なる部分が多く、迅速なコロナ対応の妨げになっている」との声が出ていることがその理由だ。
健康危機管理庁を首相直轄の司令塔と位置づけ、官房副長官クラスの政治家をトップに据える。爆発的な感染拡大などの際には関係省庁から事前にリストアップした職員を招集、増員して対応するという。
健康危機管理庁は当初、米国の疾病予防管理センター(CDC)をモデルとしていた。2020年3月に新型コロナウイルスのパンデミックが起きると「CDCのような司令塔の存在しないことが新型コロナウイルス対策が後手に回った原因だ」との批判が相次いだことが背景にある。日本では国立感染症研究所をはじめ多くの機関が感染症対策を実施しており、CDCのような一元的な組織は存在しない。
CDCの名前は日本でも有名になったが、その実態はあまり知られていない。CDCは米国保健福祉省所管の連邦機関であり、1946年にマラリア対策の専門組織として設立された。本部はジョージア州アトランタにある。組織の使命は「米国内外の健康、安全、セキュリテイーの脅威から米国を守ること」だ。常勤スタッフ約1万人を擁する巨大組織であり、2020年度予算額は約77億ドル、このうち感染症対策と危機対応関連は約35億ドルだ。日本では「1つのまとまりのある組織」とのイメージがあるが、その実態は複数の研究センターの寄り合い所帯に近い。
日本の機関に比べてはるかに巨大なCDCだが、米国の最前線で格闘する医師や行政責任者から「CDCは何もしない。世間からの批判を恐れるあまり責任回避に終始している。CDCは新型コロナウイルスの緊急時対応に失敗した」と激しく批判されていた。このような虚像を把握したからだろうか、今回の健康危機管理庁は日本版CDC構想ではない。国立感染症研究所と国際医療研究センターを統合することにより、CDCが有する感染症の分析や治療法開発などに関する政策提言の機能を強化する方針に転換した。
存在していなかった有事の仕組み
感染症は国民の生命や暮らし、経済活動などに大きな影響を及ぼす。対策の強化は必要だが、新しい組織をつくるだけで万全になるわけではない。今回の新型コロナ対応で痛感したのは、感染症対策を平時モードから有事モードに切り替えようにも、その切り替えるべき有事の仕組みそのものがほとんどなかったことだ。
医療供給体制の逼迫やワクチンなどの開発の遅れなど反省すべき点は多い。政府や地方自治体が現場の病院に対して強制的に「コロナ対応に当たれ」と指示できる権限がないことから、ほとんど実効性が上がらなかったことは記憶に新しい。政府は秋に予定される臨時国会に病院への指示権限の強化などを内容とする感染症法の改正案を提出するとしているが、現場の抵抗は依然として強く、予断を許さない状況が続いているという。
緊急時にワクチンや治療薬の使用を特例的に認める緊急承認制度が5月に施行した。大きな前進だが、「作った仏に魂を入れる」ためにも塩野義の新型コロナの飲み薬が一日でも早く承認されることを願うばかりだ。
新型コロナが収束したとしても、今後さらに深刻な感染症が発生する可能性がある。動物由来のウイルス感染症「サル痘」の感染者が、従来継続的に発生してきたアフリカ諸国以外の29カ国で1000人を超えた。これまでのところ死者は出ていないが、世界保健機関(WHO)は警戒を強めている。
日本の感染症対策の最優先課題
新型感染症のパンデミックは常に想定外の事態となることを覚悟しなければならない。臨機応変に対応するために必要なのは現場の力だが、残念ながら、日本の現場のマンパワー不足は深刻だ。2009年の新型インフルエンザ流行後の専門家会議が保健所の人員強化などの提言をまとめたが、事態は改善することはなかった。
コロナ禍で「感染症の専門家」がマスコミに登場する頻度が急増した。平時に感染症科や総合内科、呼吸器内科などで勤務する感染症専門医は、パンデミックの際には所属する病院だけでなく地域全体の感染対策を主導できるスペシャリストだ。だが、日本では「感染症専門医が手薄だ」とかねてから指摘されている。日本感染症学会が認定する感染症専門医は現在約1600人だ。「その2倍の要員が必要だ」と言われながらも一向に増えない状況が続いている。感染症専門医になるためには医師免許を取得してから少なくとも8年間の研修が必要なうえ、診療報酬の増加にほとんど貢献しないため、病院経営にとって望ましい存在ではないからだ。
感染症専門医を早期に増員できる仕組みを構築することが、日本の感染症対策の最優先課題なのではないだろうか。
(文=藤和彦/経済産業研究所コンサルティングフェロー)