米オレゴン州で行われていた陸上の世界選手権(25日閉幕)で、日本女子初のフィールド競技での銅メダルを「やり投げ」で獲得した北口榛花氏。2018年から師事するチェコ人のコーチ、デビット・セケラック氏との出会いが銅メダル獲得の大きな原動力となったなどと報じられている。
北口氏は北海道旭川市出身。北海道教育大学附属旭川小学校時代にはバドミントンの全国小学生大会で団体優勝を飾るなど幼少期からアスリートとしての能力が高く、陸上競技に転向し「やり投げ」を始めてわずか2カ月で北海道大会で優勝。2年時に高校総体で優勝するなど、その才能が高く評価されていた。2015年1月には、2020年東京オリンピック代表選手候補に期待される日本陸上競技連盟の「ダイヤモンドアスリート」にも認定されている。
179cm86kgの体格と類まれなるセンスで将来有望なアスリートとして認知されていた北口氏。しかし、そんな彼女にも人知れぬ紆余曲折があった。
コーチの不倫騒動
その銅メダル獲得物語の裏側について「週刊新潮」(新潮社/2022年8月4日号)が「やり投げ銅メダル・北口榛花 チェコに渡った背景にコーチの不倫、DV報道が」と報じたのだ。記事の一部を引用する。
<だが、彼女がチェコに渡らざるをえなかった内情が大っぴらに語られることはない。実はある“醜聞”のせいだったのだが……。
高校歴代最高記録を樹立し、将来を嘱望されていた高校時代の北口は、世界を舞台に戦える人材を育成するべく日本陸上競技連盟が設けた「ダイヤモンドアスリート」という制度の1期生にも認定されていた。
「当時の北口は、どこの大学でも行きたいところに進学できた状態でした。そこで彼女が選んだのは日本大学。かの村上幸史の指導が受けられる、というのが決め手でした」(陸上記者)
(中略)
ところが、である。今から5年前、北口が大学2年になった17年4月、彼女を指導する村上が週刊文春の好餌となったのだ>
この17年の「五輪やり投げ・村上幸史 妻へのDVと不倫訴訟」という記事は、「週刊文春」(文藝春秋)時代に筆者が担当した記事だった。週刊誌で不倫騒動を記事にすることは多いが、そのなかでも村上氏の素行や泥沼不倫ぶりについては際立つものがあったといえる。
村上氏はアテネ、北京、ロンドン五輪に出場し、ロンドンでは日本選手団の主将も務めた、やり投げのレジェンド選手。その村上氏が女子大生と不倫し、妻のA子さんとの間でトラブルになっているとの情報を筆者は入手し取材を始めた。
村上幸史氏は07年に結婚し、一児をもうけていた。17年当時は競技を続けながら日本大学文理学部体育学科の助教も務めていた村上氏は、学内で知り合った文理学部の20歳の大学生と不倫関係にあったのだ。それに気づいた妻は大学生に対して不貞行為による損害賠償の訴訟を起こしていた。訴状には村上氏と不倫相手のLINEのやり取りの詳細も記載されていた。
村上:俺…。ホワイトチョコ出すの早かった?
良子:昨日早かったね!! なんで?
村上:気持ち良すぎた。良子が求めてきたから。
良子:気持ち良かったね。最近むっちゃ求めちゃう
まさに愛は盲目という雰囲気のやり取りを繰り広げていた二人。こうしたやり取りがすべて妻の知るところとなり、村上氏と良子さんは並んで正座してA子さんに「二度としません」と謝罪した。取材ではこの謝罪写真も入手し、記事で紹介している。しかし、村上氏は結局、関係を再開させてしまったという。
裁判でのトンデモ主張
村上氏は「事実ではないです。LINEも(正座して謝罪する)写真もデッチ上げられたもので策略です」と主張し、女子大生の言いなりとなり慰謝料は払いたくないなどトンデモ言動を続けたりしていた。村上氏の言動はあまりにメチャクチャで酷く、不倫であっても被害を受けている人もおり、報道する理由があると考えて記事にしたことを記憶している。
その後、村上氏と妻は離婚協議(のちに離婚)に入る。
「村上氏は裁判では、後輩数人を証言台に立たせて。『奥さんが後輩に性的暴行をはたらいた』という、トンデモ主張を繰り広げた。自分が不倫していたのを棚にあげ、妻にもあらぬ疑惑があると主張したわけです。でも後輩は身長180センチ、体重79キロ、重量挙げ100キロの屈強なアスリートで、村上氏側が主張した『(後輩が奥さんに)無理やり衣服を脱がされ力が強く抵抗することができず』と主張したシナリオには、無理があるというのは一目瞭然でした。裁判長にからも『現実的に無理』と一刀両断されていた。被告が嘘の主張をするということは裁判ではままありますが、他人(後輩)にもそれをさせるという人はなかなかいない。これは“喜劇”だと思いましたね(笑)」(司法記者)
村上氏は「文春」記事で“事実ではない”と否定してみせたが、のちに大学を退職する。突然コーチを失った北口榛花氏は独りで練習する状況に陥ったという。新たな環境とコーチを求めて北口氏が渡欧したのは翌々年の19年2月だった。
7月の世界選手権でメダルを獲得した北口氏は、翌8月にも陸上競技最高峰のリーグ戦である「ダイヤモンドリーグ」でもビッグスローを決めて2度目の優勝を飾った。まさにアスリートとして、充実の時を迎えているといえるだろう。
プレー環境を悪化させた恩師のスキャンダルに“投げやり”にならず、競技への情熱を保ち続けた北口氏の努力と精神力は大いに評価されてよいものだろう。
(文=赤石晋一郎/ジャーナリスト)