今回の写真展について、安氏は筆者の取材に、「(元慰安婦の)女性たちの苦しみを写真によって伝えたかった。誰かが記録しておかなければ、女性たちは歴史のなかで消えてしまう。そうすれば、こうした惨劇が繰り返されてしまうかもしれない。だから、写真を通じて彼女たちのことを多くの人たちに知らせたかった」と語った。
作品は現地の元慰安婦という女性たちを撮影したもので、全てモノクロ。とくに解説やキャプションなどは付されていない。また、展示作は韓紙と呼ばれる特殊な紙に独特の手法でプリントしたもので、技巧的なこだわりも感じられる作品群だった。
ところが、この写真展の開催が告知されると、民族派などを名乗る者からニコン本社への抗議が集中。インターネット上にも「反日的な企画」「ニコン製品は買うな」などの書き込みがあらわれた。
こうした動きに対して、ニコンが安氏に写真展の中止を通告。これに反発した安氏が東京地裁にニコンプラザの使用を認めるよう仮処分を申請し、これを裁判所が決定したことから写真展の開催が決まった。
開催初日の6月26日には、会場外で在日特権を許さない市民の会(在特会)メンバーなどによって「慰安婦写真展強行開催に抗議する」として集会が行われ、さらに会場には在特会会長の桜井誠氏や主権回復を目指す会代表の西村修平氏らが訪れ、桜井氏が声を荒げる場面などもあったが、抗議が30秒ほど続いただけで現場を警備していた私服警官に付き添われて退去した。
この一連の事件によって、むしろ話題となったのはニコンの対応だった。仮処分決定によって写真展中止が撤回された後も、ニコンプラザHPのスケジュールページからは安氏の写真展は除外され。「仮処分のために開催している」との旨を告知するのみで、まるで自社の意思ではないかのようなニュアンスを匂わせた。新宿エルタワー2階のエレベータフロアにはニコンプラザの告知板があるが、そこにも同時期開催の日大芸術学部学生による写真展についての告知はあるものの、安氏の写真展については何の案内もなかった。
また、写真展会場も異様な状態だった。通常であればそのまま入場できるニコンプラザだが、安氏の写真展については入口に警備員が常駐し、入場者ひとり一人に対して手荷物のチェックを行い、さらに受付前には金属探知機のゲートまで設置されていた。しかも、トイレや携帯電話での対応などで会場の外に一度出た者に対しても、再度の入場の際には同じように手荷物検査とゲートでのチェックをするという念の入りようだった。
こうした「厳戒態勢」に、ある来場者は「爆破予告でもあったのかと思った」と呆れ顔で話した。
さらに、他の入場者などから聞いたところでは、1日に何度かニコン側の弁護士が会場に入り、入場者の行動などを逐一チェック。何かあればすぐに近寄ってきて注意されたという。
会場を訪れたジャーナリストの林克明氏は言う。
「『余計な事をしたら許さない』という態度でした。とにかく横柄な対応で、普通では考えられないことまで禁止するわけですから。たとえば、ニコンが印刷して配布した写真展案内のハガキを、ほかの来場者に手渡すことまでダメだというのです」
こうした対応に不満を漏らすジャーナリストやカメラマンは少なくないようだ。先の林氏も、「画家が絵を展示できず、写真家が写真展を実施できないとしたら、ジャーナリストがルポをメディアに掲載できないのと同じです。そんな世の中が、健全といえるでしょうか」と話し、ニコンに対して単なる機械メーカーではなく、ジャーナリズムの一端を担う企業であるとの自覚が足りないのではないかと疑問を呈する。
また、ニコンは東京地裁の仮処分に異議を申し立てたものの退けられ、高裁に抗告していたが、こちらも7月6日までに棄却された。
(文=橋本玉泉)