大地震後に自社からボランティアは出さず、説教だけはする巨大新聞社
業界最大手の大都新聞社の深井宣光は、特別背任事件をスクープ、報道協会賞を受賞したが、堕落しきった経営陣から“追い出し部屋”ならぬ“座敷牢”に左遷され、飼い殺し状態のまま定年を迎えた。今は嘱託として、日本報道協会傘下の日本ジャーナリズム研究所(ジャナ研)で平凡な日常を送っていた。そこへ匿名の封書が届いた。ジャーナリズムの危機的な現状に対し、ジャーナリストとしての再起を促す手紙だった。そして同じ封書が、もう一人の首席研究員、吉須晃人にも届いていた。その直後、新聞業界のドン太郎丸嘉一から2人は呼び出され、大都、日亜両新聞社の社長を追放する算段を打ち明けられる。しかし、その計画を実行に移す直前に東日本大震災が起こった。
料理人は最初に茄子と南瓜を焼き終わり、大皿に綺麗に盛ると、日本ジャーナリズム研究所会長首席研究員の深井宣光と吉須晃人の二人の前に置いた。深井は皿に箸を運びながら、問わず語りに漏らした。
「地震から2カ月ですけど、仙台はどうでした? 随所に爪痕が残っていたんでしょうね」
「いや、駅前のホテルに泊まって、国分町に行っただけだからね。よく目を凝らさない限り、震災前と変わらない感じだったよ。爪痕なんてみたくもなかったしな」
「国分町って、仙台の銀座ですよね」
「そう、みんな明るかったね。仙台が復興の拠点だ。これから、ますます潤う、という感じだった。今はその走り、という感じだった」
「やっぱりね。でも、吉須さんは仙台以外で震災の痕跡を嫌というほど見たんですか。僕も見に行かなきゃ、と思いながら、今まで無為に過ごしてしまった。痛恨の極みですよ」
「見たからって、どうっていうことないさ。そんなこと、気にするなよ」
吉須が窓を見つめながらぼそっと答えると、料理人が鮑と車海老を乗せた皿を置いた。振り向いた吉須は白ワインを注文した。
「吉須さん、でも、現地を見たか見ないで、月と鼈(すっぽん)ですよ。理由が何であれ、僕は見ていない。大地震のこと、語る資格ないです」
「そんなことない。見たって、それを形に残せなければ意味がない。そんなこと、できる奴、そうはいない。垂れ流しは出来てもな」
「そうかな。吉須さんは見たんでしょ?さっき、『爪痕なんてみたくもなかった』って言いましたよね。どうなんですか」
「ボランティアで岩手には行った。あまり報道はされていないけど、財閥系の大企業には大抵、CSR(企業の社会的責任)を担当する部署がある。週末にバスを仕立てて、毎週、被災地にボランティアに行っている。俺はそのバスに便乗して2回行った」
「やっぱり、そうですか。で、どうでした?」
吉須は皿の車海老に箸を運び、すぐには答えなかった。車海老を岩塩につけ、食べ終わると、白ワインを口に含んだ。
「東北自動車道を深夜に突っ走り、早朝に遠野に着く。そこでマイクロバスに乗り換えて三陸海岸に行く。そこで、がれきの処理を手伝うんだ」
「じゃあ、津波の爪痕を見ているんですね」
「…」
「異臭もすごい、と聞きましたけど…」
「うるさい。もういいじゃないか。俺は話したくないんだ」
吉須はステーキを焼き始めた料理人も驚くほどの大声を出した。そして、怒りを収めるように、半分ほど残っている鮑のステーキをワカメ醤油に付け、むしゃむしゃ食べた。深井は車海老を口に運び、白ワインを飲みながら、吉須が口を開くのを待った。
「…。俺はまだ見た光景を話す気にもなれない。多分、書くことだってできない…」
吉須はカウンターの中で、料理人がニンニクのスライス焼きの仕上げをしているのを見つめていた。深井は、白ワインのグラスを転がしながら、吉須が続けるのを待った。
「おい、ステーキが焼きあがるぞ。そろそろ、赤ワインをもらうか」
吉須がようやく口元に笑みを戻し、深井をみた。
「そうですね。頼みましょう」
今度は深井が手を上げた。赤のグラスワインを注文、話題を変えた。
「3月11日、吉須さんと電話で話したとき、まだ、原発の重大事故のことは伝えられていなかったですよね」