ドイツは長年、風力、太陽光・熱、バイオマス、水力など再生可能な自然エネルギ-の開発に取り組んできた。そして、脱石油・脱原発を目指して、20年までに再生可能エネルギ-の占める割合を30%以上とする計画を発表している。
メルケル首相が原発廃止を決断した背景には、エネルギ-資源の確保や原発の安全性確保への疑問とは別に、もうひとつの重要な要因があるように思える。原発を完全に廃止することは、ウラン・プルトニウムの生産・再処理など、核兵器をつくる核技術を放棄することを意味する。ドイツが原発廃止を決断したことは、核技術・核兵器を放棄することを宣言したに等しい。
現在、原発を積極推進する国は、一部の新興国を除いて、米国・英国・フランス・ロシア・中国の核保有国である。しかも、これらの国は第二次世界大戦の戦勝国である。敗戦国であるドイツが、今さら核兵器を所有して核保有国の仲間入りする意味はまったくないとの強い思いが、メルケルにはあるように思われる。メルケルの決断にはむしろ、原発を廃止して核技術を放棄することで、戦勝国である核保有国が決してできない役割をドイツが果たそうとする意思すら感じられる。
なぜ日本は原発廃止を決断できないのか?
敗戦国の中でドイツ・イタリアはいち早く原発廃止を決め、原発に頼らない経済の成長や国の発展を模索することを明らかにしている。日本だけが、いまだ原発廃止の決断に躊躇している。日本が国の存亡にかかわるこれだけ重大な原発事故を経験しながら、まだ原発再稼働にこだわり、原発廃止を決断できないのはなぜなのか?
単にエネルギ-資源確保の問題だけでなく、原発大国で核大国でもある米国からの見えざる要請があるからか?
あるいは「核技術を保持したい」という潜在的な願望があるからか?
核技術を政治的・外交的な交渉力の武器として、あるいは潜在的な軍事力として保持しようとする発想は、冷戦時代の時代遅れの考え方である。日本は、まだその呪縛にとらわれているように思える。