ビジネスジャーナル > 医療ニュース > 【コロナ】過酷な緊急帰国の全貌
NEW

【コロナ】空港の会議室で24時間待機、2週間隔離…過酷な緊急帰国の全貌、体験者語る

構成=粟野仁雄/ジャーナリスト
【この記事のキーワード】, ,
【コロナ】空港の会議室で24時間待機、2週間隔離…過酷な緊急帰国の全貌、体験者語るの画像1
空港での水際対策を強化(写真:UPI/アフロ)※本文内容とは無関係です

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け7日、政府は改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言を発出した。コロナ拡大を受け、すでに外務省は全世界を対象に危険情報「レベル2(不要不急の渡航は止めてください)」に指定しており、すべての外国への渡航自粛を呼び掛けているが、3月以降、海外に滞在する日本人が帰国の動きが加速していた。

 そんななか、3月にブラジルのサンパウロ市から2人の幼い子を連れて緊急帰国したAさんに、そのときの様子を振り返ってもらった。

パトカーの先導でホテルへ移動

 もともと3月7日から日本に3週間ほど一時帰国する予定でした。そのときは日本の状況が悪くなってきて、「来ないほうがいい」と親にも言われ飛行機もキャンセルしました。

 ところが一転して今度はブラジルの状況が悪化したのです。3月24日にサンパウロ州に「緊急事態宣言」が発令されて緊迫してきました。長女が通うはずだった日本人学校も閉鎖され、いつから始まるかわからない。そのうち、治安や医療面の不安が増大してきました。サンパウロ市は元来、治安は悪いですが、近くのスーパーで強奪事件が起きたり、危険な状態にもなり、夫の会社の推奨で社員家族は緊急一時帰国することになりました。3月31日からはブラジルは事実上、鎖国状態になり、条件を満たさないと出国も入国もできなくなったのです。

 航空便も減るなか、なんとか確保したドイツ回りの便で逃げるように帰国しましたが、日本に来てからも大変でした。3月29日の昼過ぎに羽田空港に到着。機内で日本での待機(隔離)期間の14日間の滞在先を申告書に記入すると、「PCR検査をします」との機内アナウンスがありました。降りてすぐに検査を受けましたが、その頃はまだPCR検査の対象が欧州からの入国者くらいだったため、並ばずに済みました。

 自家用車や家族の迎えなどで自宅直行ができない人は、検査の結果が出るまで空港内で待機させられました。公共交通機関でホテルに直行するのも禁止です。申告書類の提出後、航空便ごとにグループに分けられ、入管、税関を通り、待機場所として空港敷地内の会議室に通されました。簡素な椅子とテーブルしかない普通の部屋です。「検査結果が翌日以降になる」とのことで、政府が用意しているホテルに移動したいかを聞かれました。当然、全員が希望したと思います。

 午後7時頃、全員が手をアルコール消毒させられ、自衛隊の協力を得て運行される観光バスに乗せられ、警視庁のパトカーの先導で成田空港近くのホテルへ移動しました。東京都と千葉県の境で千葉県警のパトカーに交替しましたが、子供たちはぐったりでした。バスの周囲は防護服を着た係員が慌ただしく動いているし、物々しい雰囲気でした。

 ホテル到着後、再度、書類を記載し、部屋に直接通されました。ホテルとしてではなく待機室としての利用なのでチェックインはなし。「検査が遅れていて2泊になりそうだ」と伝えられました。ホテルは中級のビジネスホテル。3食支給されるのはありがたいですが、ホテルの人は接触を避けてドアノブに袋入りの弁当をかけます。部屋からは一歩も出られません。「新型コロナ騒動」の最初の頃、ブラジルのテレビで見たクルーズ船のようでした。

長い検査結果待ち

 2泊目の3月31日の朝、検疫所から電話で「陰性でした」と伝えられ安堵しました。私が陽性なら子供たちと分けられてしまい、大変なことになってしまう。子供たちも陰性でした。

「なるべく午前中に退去してください」と言われました。地方へ向かう人たち用に各空港行きのバスも用意されていました。退去のとき、ホテルの前に救急車が止まっていてちょっと緊張しましたね。

 結果待ちの待機場所は便やタイミングによって異なり、空港敷地内の職員ビルのようなところの会議室で24時間以上も待たされてしまうグループもいたんです。子連れでも容赦なしで可哀そうでした。椅子をつなげて横になるしかなかったそうで、ターミナルビルと違ってWiFiもつながらず不便を強いられていた。あとで「ホテルに移送されたグループは機内に発熱者などがいたりしてハイリスクだったから」と聞きましたが、真相は不明です。

 検査結果が出る時間がまったく読めず、係の人たちに「どうなっているんだ」と問い詰める人もいますが、そこは日本人、大半はじっと耐えていました。まだ当時は全便がPCR検査対象ではなかったけど、全便だったらずっと混乱するでしょう。係官の人は一生懸命ですが、結果待ちの場所の確保は大きな課題ですね。会議室の換気もいまいちで、あの環境では体調を崩しても無理はないと思います。

 成田空港に米国経由で到着した人たちは「PCR検査がなくても申告書を出すのに2時間近く並んだ」と話していました。他の日に帰国した人は、検疫の行列で係員に「詰めて並んで」と言われて怒りを感じたそうです。人との距離を開けなくてはいけないのに。検疫官たちも目の前の対応に追われ、根本的な危機管理が抜けていると感じました。

治安悪化激しいブラジル

 少し、ブラジルの事情を紹介します。ブラジルでは2月22日から25日が有名な「カーニバル」で連休でしたが、多くの人が集まり往来するカーニバル休暇後の感染拡大が懸念されていました。2月26日にはブラジルで初の感染者が出ました。イタリア帰りの男性でした。

 3月に入って海外への往来の多い富裕層の感染者が多く報告され始めました。23日より公立校の全校が休校になり、私立も推奨ベースとはいえ実質は全校休校。そして24日にサンパウロ州で緊急事態宣言、3月31日には全土が「鎖国」でした。

 サンパウロ市でも企業、家庭によって事情が異なり、今も残留している日本人家族も多いです。外出制限で公園も封鎖されましたが、治安が悪く散歩もジョギングもできない。スーパー、薬局、ガソリンスタンドなど以外は休業です。サッカースタジアムなども野戦型の病院が続々建設されています。ブラジルは病院のレベル差が日本より激しいのですが、最高レベルの病院でも院内感染が出てしまいました。

 人通りが減って旧市街地は薬物依存症者などの天下になり、より治安が悪化しました。貧困層居住区では水が出ない場所も多く、今後も感染拡大が予測されます。夜はボルソナロ大統領への反対派による「パネラッソ」という鍋叩きの抗議が続き、不穏な空気です。ボルソナロ派の一部は、規制を守らず通常営業する飲食店もあります。政府による低所得者への現金給付も発表されましたが、納税者対象なのでほとんどの人がもらえないと見込まれています。そういう人は「ウイルスで死ぬか貧困で死ぬか」のような絶望状況です。

帰国しても小学校は休校

 さて、日本での「待機期間」を過ごした場所では、子供たちも時間を決めて走り回ることができます。子供たちは少し外の空気も吸うことができ、これだけでも日本に帰ってきてよかったと思う。長女は春からサンパウロ郊外の日本人学校に行くことを楽しみにしていたので可哀そうです。「待機期間」後は実家に行きますが、小学校はゴールデンウィーク明けまで休校です。文科省は海外から緊急一時帰国した子弟を地域の小学校で一時的に受け入れる方針だと聞いて安心していたのに。

 今後、ブラジルは冬に向かうし、いつ戻れるのか不安です。新型コロナウイルスが原因ですが、ブラジルでは治安悪化の影響のほうが大きい点が日本と違います。先の見通しが立ちにくいし、現地に残って働いている夫が一番心配です。駐在員や家族の帰国も自主判断となるケースも多く、日本も状況が悪いなか、航空便の減便もあり、判断を迫られ悩んでいる家庭も多いです。

 海外渡航者が感染を広げたようにいわれているなか、日本で周囲を不安にさせないか心配です。早く普通の状態に戻ってほしいと願ってやみません。

粟野仁雄/ジャーナリスト

粟野仁雄/ジャーナリスト

1956年生まれ。兵庫県西宮市出身。大阪大学文学部西洋史学科卒業。ミノルタカメラ(現コニカミノルタ)を経て、82年から2001年まで共同通信社記者。翌年からフリーランスとなる。社会問題を中心に週刊誌、月刊誌などに執筆。
『サハリンに残されて−領土交渉の谷間に棄てられた残留日本人』『瓦礫の中の群像−阪神大震災 故郷を駆けた記者と被災者の声』『ナホトカ号重油事故−福井県三国の人々とボランティア』『あの日、東海村でなにが起こったか』『そして、遺されたもの−哀悼 尼崎脱線事故』『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』『アスベスト禍−国家的不作為のツケ』『「この人、痴漢!」と言われたら』『検察に、殺される』など著書多数。神戸市在住。

【コロナ】空港の会議室で24時間待機、2週間隔離…過酷な緊急帰国の全貌、体験者語るのページです。ビジネスジャーナルは、医療、, , の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!