今、最も注目されているライター、田中泰延による「文章術」が売れている。『読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術』(ダイヤモンド社)だ。
93年電通入社後、コピーライター・CMプランナーとして24年間勤め、16年に退職。現在フリーランスで執筆活動を行う田中泰延による初の著書となる本書は、字が大きく、たっぷりと余白があり、文章量が少ない。書店の平積みにあるポップには「圧倒的な読みやすさで大反響!」とうたわれる。「読みたい」と思うのは、脱社畜、働き方を模索するなかでフリーランスのライターとして働くことに活路を見いだした、いままでさほど本を読んでこなかった人たちか。あるいは、ネットで田中のようにバズって知名度を上げ、割の良い仕事を得たいと思う人たち、安直にいえば「田中泰延になる方法」を求める人たちか。
私は、先のような人たちや、世間に対する著者の投げやりな態度への共感、見出しをはじめ本文をチラ見して気になった言葉の数々、そして、その先に「何か」があるような気がして、本書を手に取った。
なぜ「書きたい」のか?「書くこと」の出発点
まず、本書で披露されるのが、中学時代、ある雑誌の「職業適性診断YES・NOチャート」で【第一問:あなたはゴリラか? YES・NO】という不可解な設問を目にしたという原初体験だ。彼は「これを書いた人は、書きたくて書いた」「自分が読みたかったから」書いたのだと気づき、「書きたい破壊力」を実感する。
その後、田中は24年間、電通の敏腕コピーライターとして活躍するが、ある日、ウェブサイト『街角のクリエイティブ(街クリ)』から映画評論を依頼され、「自分が読みたいと思う」ことを原稿に書き始めたところ、「書きたい」気持ちが止まらなくなり7000文字にもなった。その映画評論は注目を浴び、糸井重里をはじめ、多くの人々との出会いのきっかけにもなった。さまざまな広がりが見えるなか、「どこかの誰かがつくった商品の良さ」について書く広告の仕事が苦手となり、電通を退職。
現在、ライターとして執筆するほか、『街クリ』主催のライター講座を受け持つ田中だが、ウェブの文章に触れ、ライター志望の人たちと関わるなかで気づいたことは、「書きたい」と考えている多くの人は、「偉いと思われたい。お金が欲しい。成功したい」思いが強く、「書くこと」について出発点から間違っていることだった。そうした人々の思惑を嗅ぎ取ってか、大手出版社からも、「電通なんて辞めちまえ!俺のツイッター活用術 田中泰延」「バズる!儲かる!WEBライティング 田中泰延」といった企画の打診もあったという。
「目的意識があることは結構だが、その考えで書くと、結局、人に読んでもらえない文章ができあがってしまう」(本文より)
では、どうすれば、人に読んでもらえる文章が書けるようになるのか?
本書では独自の「文章術」が繰り広げられる。ただ、残念なことに、文法や表現、構成など、すぐに使えるテクニックや、バズらせるための裏ワザは書かれていない。書かれているのは、田中が注目を集めるにいたった経緯、書くことの「意味」、書くときの「姿勢」だ。それが熱量のある余談や愚痴を交えて語られている。
ネットで読まれる文章の9割は「随筆」
たとえば、ビジネス書の「文書術」によく見られる「読者を設定し、ニーズを理解し、ターゲットを決めて書く」という記述について。田中は「ターゲットなど、想定しなくていい」と断言。自分が面白いと思わず、他人が面白いと思うものを書くのは意味がないと続け、「ターゲットという言葉が下品だ!」と唾棄し「射撃と文章を間違えてはいけない!」と笑わせてくれる。
また、ネットで読まれる文章の9割は「随筆」だという田中の見立ては興味深い。「随筆」と聞くと「思ったまま、好きに書いた文章」ととらえられがちだが、彼は「随筆」とは、そうした「内面」だけではなく、「事象と心象が交わるところに生まれる文章」であると定義。「事象」とは見聞きしたもの、知ったことであり、「心象」とは「事象」に触れて書きたくなった気持ちのこと。「事象」寄りのものを書くことは、「ジャーナリスト」「研究者」の仕事であり、「心象」寄りのものを書くことは「小説家」「詩人」の仕事だと位置づける。
さらに、ブログやnote、あるいはツイッターには「心象」だけ、「自分の内面」だけを語る人が多いと分析する。そうした「心象」寄りの随筆をウェブ上で書いている人たちの傾向を「自分の内面を相手が受け容れてくれると思っている点で、幼児性が強い」と指摘。読者の中には胸を突かれたブロガーも多いのではないか。
物書きは『調べる』が9割9分5厘6毛
良質の「随筆」「事象と心象が交わるところに生まれる文章」を書くには、「心象」を語る前にテーマを徹底的に調べ、「事象」の「強度」を固めることが必要だと田中はいう。
少し前にキュレーションサイトのパクリ問題が取り沙汰されたが、実際、ネットの文章の多くは、Wiki pediaをコピペしたような、また聞きのまた聞きが文字になっているものが少なくない。ムック本や新書などの書籍も、ネット上の文章とそう大差はなく、既視感のある情報が、それらしく載っている。
「事象」の「強度」を高めるには、Wikiや新書、ムック本などの二次資料ではなく、さまざまな情報の出所であり「行き止まり」となる一次資料にあたらなくてはならない、と田中は主張する。
「物書きは『調べる』が9割9分5厘6毛」(本文より)
「毛」って何?というネタを添えながら、調べあげた9割を捨て、残った1割で記事を書く。筆者の思いは、さらにその1割にとどめる。逆にいうと1%の「心象」を伝えるために、99%の「事象」の強度が必要なのだとも。
本書では、滋賀県から依頼された石田三成についてのコラムを例に、調べることの意義が語られる。「秒速で1億円稼ぐ武将 石田三成~すぐわかる石田三成の生涯~」と題する“田中泰延節”炸裂のコラムだが、国会図書館に通い、一次資料となる原典にあたり、調べ抜いて書き上げた経緯を、ユーモアを交えて紹介する。石田三成にはさまざまな伝承、イメージがあるが、調べ上げた結果、それらの多くは、「出所から怪しかった」という興味深いファクトをその生涯についてまとめている。
「秒速で1億円稼ぐ武将」というタイトルからも窺い知れる通り、同コラムのノリは、滋賀県というお役所から依頼されたものとは信じがたいほどに軽く、本文には石田三成とは無関係の、田中の馴染みというキャバ嬢なども登場する。本音を言えば、命のやり取りをしながら必死に生き抜いた戦国武将を茶化すような彼のノリは、個人的には好きではない。とはいえ、このコラムは、当初の予想をはるかに上回るアクセス数を稼ぎ、その結果、2018年度の東京コピーライターズクラブ年鑑に掲載されることになったという。そして、田中は、評価を受けた理由を「好きなことを書いていても、この書き手は一次資料に立脚している」からではないかと分析する。
たしかに、常識とされるモノ、コトに新しい視点が与えられ、真実が知られるとすれば、人は読んでみたいと思うだろう。
「調べることは、愛することだ。自分の感動を探り、根拠を明らかにし、感動に根を張り、枝を生やすために調べる」(本文より)
調べることで、読みたいものが現れる。そして、それを書きたい衝動が生じて書かれたものにこそ、意味がある。そうした姿勢は、ともすれば、ビジネス書などで「好奇心を持ち、情熱を注ぐ」といった、既視感のある言葉に回収されがちだ。しかし、電通でのコピーライターとしての経験、膨大な読書量に裏付けられた教養によって高めた「強度」を土台展開する田中の言葉は、不思議な角度から刺さってくる。時に茶化され、挑発されながらも、その「強度」でもって説得力を得た言葉に、読者は思わず共感するのだろう。
田中泰延という「体験」
昨今のライターといえば、スタバやコワーキングスペースでMacBookを広げ、わかりみの深い仲間と肩を並べて書く、ポジティブなイメージがある。しかし、田中にとって、書くことは、「腰を痛めながら眠気と闘いながら孤独な暗い部屋で書く」非常に地味で孤独な仕事だ。
「読みたいことを、書けばいい」、その姿勢は、稼げ、褒めてもらえるなどのメリットには直結しない。「事象」を切り開くことで「心象」が現れ、それを、書くことで「現実が変わる」、パラダイムシフトが起こる。そして、誰かの役に立つもの、いままでに無かったものが出来て、ようやく「価値のある意見には、必ず値段がつく」。結果、「文字がそこへ連れてゆく」と彼がいうように、思いもしなかったポジションに立てるようになるのだ。
後半では「なぜ書くのか」、その根本に触れているが、「書くことの意味」についての田中自身の「心象」はけっこう沁みる。
「友がみな我より偉く見ゆる日の寂しさ。世界が自分を置き去りにしていると感じる寂しさ。それならば、自分が世界を置き去りにすればいい。誰もまだ知らない景色を、知らない言葉を見つければいいのだ。その一瞬だけは、世界の寂しさに勝てる」(本文より)
この文章にたどり着いた時は共感度がぐっと上がり、自分がライターを仕事にしていて良かったと勇気づけられた。
全体として、個人的には余談や愚痴がやや食傷気味ではあったが、本書は「田中泰延を体験」することでこそ、思考やノウハウが染みこみ、多くの気づきが得られるのだろう。いわば、「文章術」の書籍というより、一冊まるまるが、完成度と強度をもったコピーなのだ。
(文=さくたろう/フリーライター)