夢や将来を語っているのに、「それで今は何をやっているの?」との質問に答えられえない人々
「やってみた」は科学、「やってみたい」は迷信
彼は、「『やってみたい』と『やってみた』との間には大きな差がある。これは、「本気度」といったあいまいで抽象的な差ではない」と言う。筆者は、よくわからなかったので細かく話を聞いた。
筆者:本気度ではないとすれば、どんな差があるのか?
経営者:「やってみた」は科学で、「やってみたい」は迷信だ。
筆者:どういうこと?
経営者:やってみればデータが取れる。それを基に、もっとうまいやり方を考えられる。実験ができて、きちんと検証できれば科学だ。しかし、やったことのない人は単なる思い込みや推測でしか動けない。要するに、迷信めいたものを当てにしているということだ。独立したいなら、実際にお客さんを回って、商品を見せてみないとデータが取れないだろう。
筆者:しかし、いきなり動くのはリスクも高く怖さがある。
経営者:迷信だって、皆が怖がるものだ。天然痘ワクチンを開発したことで有名なエドワード・ジェンナーは、科学的な研究によってワクチンをつくった。当時、多くの人は「ワクチンを打つと牛になる」などと怖れてワクチンを信じなかった。確固たる証拠もなく疑っていたのだ。
筆者:それこそ迷信だね。
経営者:また、イタリア物理学者のガリレオ・ガリレイが落下実験をするまでは、重いものは軽いものよりも早く落ちると皆が信じていた。つまり、実験するまでは事実を正確に理解するのは難しい。必要なのは、実験とデータだよ。思い込みや当て推量じゃない。私の経営する会社でも、部下に「怖がっていないで、さっさと仮説を証明するためにデータを集めろ」と言っている。
筆者はそれを聞いたとき、さまざまな会社の中で、いかに思い込みや当て推量で語る人が多いかを思い出した。確かに、「やってみた」と「やってみたい」は明らかに違う。
(文=安達裕哉/経営・人事・ITコンサルタント)