私たちは今、コンピュータを使って仕事をするのが当たり前になっている。目の前にあるパソコン、スマートフォン、電子機器。それらを私たちが自由に使えるようになったのは、IT業界の黎明期に活躍した人たちの尽力があってこそのものだ。
■1960年代のIT業界
約60年前。コンピュータといえば、100平方メートルもある巨大な部屋を占拠してしまうようなハードウェアを指し、世間の認知度としては「プログラムを書くって何?」というレベル。そしてプログラマを育てるためには、莫大な時間と手間が必要だった。
しかし、コンピュータが稼働すれば、これまで数百人が毎日掛かりきりで行なっていた作業が、あっという間に終わってしまう。その時代、コンピュータはいわば「魔法の箱」だった。
そんな時代の1961年、大日方真(おびなた・まこと)氏は東京大学を卒業して日本IBMに入社する。
■日本のIT業界の「生き字引」
『ターンアラウンド――22億円の借金を返し切った企業経営者の挑戦』(ダイヤモンド社刊)は、株式会社ユニックスホールディングスの代表取締役である大日方氏が自身の人生を振り返る自叙伝である。
「1961年に日本IBMに入社」という経歴からもわかるように、大日方氏は日本のIT業界の黎明期からコンピュータに携わっている人物である。『ターンアラウンド』は、バブル崩壊により資本金の30倍、22億円の負債を抱えるなど、経営者としていかに逆境を乗り越えていったかという部分も読みどころではあるのだが、その一方で、彼の人生を追いかけることで、日本のIT業界がどのように成熟していったのかがわかるようになっている。
■現在は発展途上国のIT化の支援も
文系だった大日方氏。まだ1950年代である。もちろん今のように、大学でコンピュータの使い方や知識を教えてくれるわけでもない。そのため、日本IBM入社と同時に工場へ行って、詰め込み式で教育を受けたそうだ。教材はすべて英語で、毎日宿題が出る過酷さに、「家に帰っても寝る時間がない」ほどだったという。
研修を終えた大日方氏は、コンピュータを導入する企業の社員が受ける研修のインストラクターを経て、金融機関担当のシステムエンジニアとなる。ここでは日本銀行や日本長期信用銀行(現・新生銀行)、日本相互銀行(現・三井住友銀行)、八十二銀行などでオペレーティングシステムの導入に尽力した。
日本IBMには1967年まで勤務するのだが、研修のインストラクターやOS導入に尽力したという経歴は、その後の大日方氏が展開する事業に強く影響している。
大日方氏の経営者としての人生を追うと、エンジニアをいかにして教育するかということはIT業界にとっていかに大切かということがわかる。今現在進めているバングラデシュ進出も、やはりバングラデシュという国のIT化の支援込みで行なっている。日本のIT業界黎明期から約60年、コンピュータに携わってきたからこそ、コンピュータの仕組みを教えることや、導入することの難しさとその重要性を熟知しているのだ。
■資本金の30倍、22億円の借金を完済する
今回は、大日方氏が経験した日本のIT業界の黎明期についてフォーカスしたが、バブル経済が崩壊した後、22億円の不良債権を抱えたという経営者としての苦難の道のりについても書かれており、こちらも非常に興味深いものになっている。この借金については、約25年をかけ、2015年3月に完済したそうだ。
また、本書の終盤では、若手技術者たちに対する叱咤激励も述べられている。
私たちの生活はIT化が進んだことに豊かになった。それは大日方氏をはじめ、高度成長時代から日本のIT化を推し進めてきた人々の功績があってのものだ。今、自分がこうしてパソコンで仕事をできていることに対して、感謝の気持ちを感じてしまうような、そんな一冊である。
(新刊JP編集部)
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※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。