本書で羽生は、ソチ五輪後に「燃え尽き症候群」に陥ったことを明かしている。アイスショーなどもあり休む時間がない状態で、6月に東日本大震災後初めて石巻の中学校を訪問し、被災者と触れ合った。
仙台出身の羽生にとって、震災はどうしてもついてまわるものだ。震災時にはスケートを辞めようと思ったこともあったという。しかし、羽生は東北の人たちにとって、ヒーローであり、希望の象徴。羽生は、金メダルを何よりも喜び、笑顔を見せる被災者たちを見て、改めて気付いた。自分の気持ちが「落ちていた」ことを。そして、その幾多の笑顔の中で「次の(五輪のメダル)も取りたい」というモチベーションが生まれたのだという。
「人生を後ろからカウントダウンするような感覚、ちょっとあります。
平昌までしっかりと頑張る。そのあとはまだ漠然としていて具体的に何をしたいっていうのはないんですが、この間ソチ五輪で味わった無力感を、次の五輪のあとに消化したいと思っているんです。 やっぱり『そのあと』なんですよ。でも、今は現役なので、現役は現役で、スポーツマンとして競技をしっかりやる。まずは競技者としてしっかり戦いたいです。」
(同書158ページより引用)
■21歳の青年はこれからどこへ向かうのか?
その後、羽生は病気や怪我に悩まされながらも、自分自身のレベルアップを追い求めた。
そして2015年12月にバルセロナで行われたグランプリファイナルでは、総合330.43点を叩き出し、ショート、フリー、総合で世界最高得点を更新。同時に、男子シングルとしては史上初めてのグランプリファイナル3連覇を成し遂げた。
羽生は得点が表示されると、こぶしをぎゅっと握り締めてから、オーサーコーチに笑顔を向けた。しかし、次第に感情はこみ上げ、涙が流れてきた。そのとき発した「なんで僕は泣いているんだ?」という言葉は照れ隠しだという。
再び怪我に悩まされて2015-16シーズンが閉幕し、また新たなシーズンに向かう羽生は、「今が一番楽しいかもしれない、スケート」と語る。周囲のレベルがどんどん高くなっている中で自分も戦えていることが、一スケーターとして嬉しいのだという。
この21歳は、これからどんな景色を私たちに見せてくるのだろうか。
本書の印税はすべて、アイスリンク仙台へ寄付されるという。
『蒼い炎II ―飛翔編―』で語られた4年間の彼の言葉は、ファンはもちろんのこと、さまざまな人たちに勇気を与えてくれるはずだ。
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。