鬱でクビ同然、起業した会社が3度も廃業…その私が習得した「悩みが消える3つの方法」
コロナの影響が長引くにつれ、人々のメンタル面も二極化しているように感じます。それは、たとえば「いい時代になった」と感じる人と、「不安で仕方ない」と感じる人といえば、わかりやすいでしょうか。
しかし、以前のような生活環境が戻ってくることはもうないだろうと予測しています。なのでWithコロナ時代を前提に、そのような社会情勢下でも幸福を掴めるメンタルの獲得が必要です。
私自身は後者で、コロナ禍においても特に不安や悩みはなく、社会の閉塞感や生きづらさといったものもまったく感じません。それどころか人生は楽勝と考え、未来はとんでもなく明るく、毎日が楽しくて仕方ありません。
とはいえ、もちろん生まれてこの方ずっと悩みがなかったわけではなく、人並みに悩みを抱えてきました。たとえば、かつての私の悩みを思い出してみると――。
・中学生のころ、顔面がニキビだらけで恥ずかしかった
・中学でバレーボール部のキャプテンをしていたが、どうすれば部員がまじめに練習してくれるか悩んだ
・父親と進路で意見が合わず、高校を卒業して家を出るまで確執状態が続いていた
・今まで付き合った女性のうち、5人に振られて自暴自棄になったことがある
・大学がつまらなくなり、行くのがイヤになって学費を払わず除籍寸前になった
・日本の公認会計士を目指したが、試験直前で心が折れ不合格になった
・大卒時に就職が決まらず、半年間フリーターだった
・最初に就職した会社でパワハラを受け、ウツ寸前になった
・その会社も結局クビ同然で自主退職することになった
・職場の人間関係(後輩や上司との)が悪化したことがある
・調停離婚したことがある
・裁判で訴えられたことがある
・裁判で訴えたことがある
・作った会社のうち3社を業績不振や役員間のトラブルで廃業した
・従業員の集団退職に遭い、経営者としての器に欠ける自分が情けなかった
・経営していた会社の資金繰りが悪化し廃業を覚悟した
・信頼していた部下の裏切りに遭い、会社が空中分解した
・株主と事業方針をめぐってトラブルになった
・税務調査が入り、500万円以上の追徴課税を受けた
・再婚してできた子どもに発達障害があった
こうした経験をしてきました。そして冒頭の境地に達したのは40歳ぐらいと、ずいぶんあとになってからです。そして現在、日常生活で直面するほとんどの出来事・状況で、「そもそも悩まない」「悩みだと感じない」自分になっています。
では、なぜそのようなメンタルを獲得できたのかを考えてみると、経験や知識、そして経済力がついてきたことも大きいですが、大きな理由は次の2つだと考えています。
「悩むような状況に直面しても、それを課題として認識し解決できるようになった」
「物事の受け止め方を自在に制御できるようになった」
悩みにも意味はある
ただし逆説的なようですが、まったく悩まないのが良いことだ、とは必ずしもいえないような気もします。というのも、いったん悩むというプロセスを経ないと、腹落ちしないことがあるのも確かだからです。たとえば「いろいろ考えてみたけど、やっぱりこれでいいんだ」などという納得感は、ある程度悩んだからこそ訪れる境地であり、悩まなければ得られないものでしょう。
私の例でいえば、「会社を大きくしようとあれこれあがいてみたけど、やっぱり自分は一人でやるのが向いているな」と、あるとき気づきました。それからはもう迷いはなく、事業の拡大局面でも逡巡することなく「人を雇わず外注」「システムで自動化」を選んでいます。そういう意味でも、適切に悩んで結論にいたるプロセスは、迷いを払しょくして突き進む前の準備運動のようなものなのかもしれません。
また、人間にはさまざまな感情が備わっていて、それには必ず意味があります。たとえば「不安」も、危機察知能力のひとつだといえます。不安がなければ、たとえば安易に藪の中に立ち入りヘビなどにかまれるリスクがあります。
つまり不安とは、自分の命を守るために動物に備わっている生存本能の一つであり、生きるうえで不可欠なものです。これと同様、悩みには「向上心」「成長欲求」という意味があるのではないかと思います。「こうなりたい」「こうありたい」という成長欲求があるからこそ、まだ理想に到達できない自分に悩むわけです。
そして私たち人間は、喜びや悲しみ、嫉妬や劣等感、達成感や感動など、ネガティブにしろポジティブにしろ、さまざまな感情を体験するなかで重層的な「自分」を形成していきます。しかし、傷つき悲しみ悩むといった感情を経験しないと、その方面では非常にもろく、偏ったメンタル、弱点を残したまま大人になります。そしてもし、自分の弱点がさらされる場面に遭遇すると、ひどく動揺したり、落ち込んだり、思考力が低下し適切な判断ができず、不利な状況になってしまいかねません。
一方、これら人間が抱くあらゆる感情を経験し、それを適切に処理し乗り越えていくと、精神は成熟していきます。その積み重ねによって、少々のことでは動じない強い心が養われます。逆境や絶望を感じる場面においても、安易にパニックになったり挫折したり自暴自棄になったりすることなく、冷静に対処できるようになります。
だから多感な十代の頃は最も悩みを抱える時期で、これも必要だからこそなのでしょう。身体が成長するだけでなく、心も成長していく。そういう意味でも、悩みの経験自体は悪いことではないのです。
正しく悩む
ただしその際、「正しく悩む」「楽しく悩む」必要があると考えます。悪い悩み方とは、視野が狭くなり柔軟性を欠き、思考が堂々巡りをして創造性が失われることです。選択肢が見えなくなり、誰かに相談することすら思いつかなくなる。ずっと悩みに支配されれば、勇気や好奇心が失われる。また、自分ではどうにもならないという思考放棄になり、他責や自己嫌悪、自暴自棄、絶望感へとつながりやすくなります。
ただ悩めばいいというものでもなく、悩んだだけでは心は強くならないし、悩み抜いたからといって成長するわけでもない。悩んだ先に、問題が解決されるとか状況が改善されるとか、自分や周囲が幸福になる行動につながるものでなければ意味はない。同じ悲観的思考がぐるぐる回るだけの悪い悩み方をやめ、悩みを課題に変え、「解決方法を編み出す」発想への転換が必要です。
悩みの解消方法は3つしかない
そうした私自身の経験と問題意識から、不安や悩みを解消するために必要なことは次の3つであると考えています。
・解決のための行動を取る
・悩みの捉え方を変え、悩みでなくする、あるいは軽減する
・そもそも悩まない思考回路をつくる
最初の「解決のための行動を取る」というのは当たり前のようですが、ではなぜ悩みはなくらないのか。悩みを具体的に特定できていないからということもあるでしょう。たとえば「老後の不安」などといった漠然としたものです。そして、自分にはできないと「思い込んでいる」ケースも少なくありません。「そんなこと言えない」「そんなことできない」「無理に決まっている」という固定観念や先入観が邪魔し、悩みの解決に動けない。
しかし前述のとおり、悩みは自分の成長欲求や向上欲求から来ていることが多いものです。「どうでもいい」と思っていれば悩まないですよね。だから「これはよりよい自分になるための課題なのだ」と捉えて取り組むことです。
次の「悩みの捉え方を変え、悩みでなくする、あるいは軽減する」「そもそも悩まない思考回路をつくる」はどういうことかというと、思考を柔軟にし、固定観念を外して「執着しない」ことです。なぜなら、「こうでなければいけない」という思い込みが悩みを生み出すからです。
たとえば、「やせていないといけない」という執着がダイエットの悩みになり、「大卒でないといけない」という執着が学歴コンプレックスになる。「プレゼンは上手でないといけない」という執着が「失敗しないだろうか」という不安になる。一方、執着しない人、つまり固定観念や思い込みがない人は悩みません。「別にやせてなくてもいいじゃん」「別に高卒でも中卒でもいいじゃん」「別にプレゼンが下手でもいいじゃん」という人は、そもそも悩みにならないわけです。
そこでこの3つの視点から、不安や悩みを消し去る方法について「自分」「性格」「才能・劣等感」「仕事・キャリア」「お金」「人間関係」「挫折」という項目で私自身の考えを紹介したのが『自分なりの解決法が見つかる 前向きに悩む力』(日本実業出版社)という本です。もしご興味があればぜひ手に取っていただければと思います。
(文=午堂登紀雄/米国公認会計士、エデュビジョン代表取締役)