コロナ自粛要請に従順に従って困窮しても、誰も責任は取ってくれない…「疑わない」の愚かさ
6月30日、中国の全人代常務委員会は、香港の治安維持法案である国家安全法案を全会一致で可決し、香港基本法の付属文書に追加することを決定しました。これによって反政府的な活動は取締りの対象となり、中国本土で理不尽な裁判・処分が行われる可能性が高くなっています。つまり言論の自由、活動の自由が奪われ、チベット自治区や新疆ウイグル自治区とまではいかないまでも、人権侵害行為が国家によって行われることを意味します。
一方、日本は基本的に民主主義、法治国家で、こうした蛮行にさらされるリスクは世界一小さい国のひとつだといえます。個人的には、中国にもっと強いメッセージを送るとともに主席の国賓招待は延期し、香港からのビザ発給条件を緩和し希望する人の移住を推進してもらいたいです。
今回の新型コロナウイルスの感染予防でも、ロックダウンといった強制的な都市封鎖が行われないのも、人権が守られているからでもあるといえるでしょう。だからといって、これを対岸の火事と見過ごすのではなく、学びに変えるとしたら何が言えるでしょうか。
ひとつは、権力に蹂躙されないよう、自分の頭で考え、自己責任で行動することが重要だということ。そして、そのために「国が言うこと、企業が言うこと、メディアや専門家が言うことすらいったん疑ってみる必要がある」と私は考えています。
たとえば2011年3月、東日本大震災直後に起きた原発事故。政府と東京電力は当時、「メルトダウンではない」などと発表しましたが、私はあの爆発映像を見て「これはどう考えてもメルトダウンだ」と判断し、すぐに東南アジア旅行と称して海外に逃げました。そして2カ月後、東電は「あれはメルトダウンだった」と認めるに至ります。
中国・武漢で発生した新型コロナウイルスについても、今年1月21日に私は「この患者の増え方は異常。確実にヒトヒト感染が起こっている。これから春節を迎えて中国人が異動するから感染は不可避」とツイッターでつぶやき、マスクなどを大量に買い込み自己隔離に入りました。
WHO(世界保健機関)は当時、「ヒトヒト感染は起きていない」などと発言していましたから、私は「WHOは現実が見えてないし国際機関として機能していない」ともつぶやきました。
これは「国家も企業も専門家も、保身のため、自分の都合のためにウソをつくことがある」という証左です。
そういえばお隣の韓国では、政府が捏造したファンタジー歴史を信じています。一部で違う動きも出ていますが、多くの国民は「政府が言っていることはもしかしたら間違っているかもしれない」というクリティカルに物事を見ようとする発想すらありません。ここまで強固に刷り込まれてしまっている状況を目の当たりにすると、もはや気の毒としかいいようがないくらいです。
これでは他人にいいように利用され、不利な扱いを受け、理不尽に打ちひしがれ、蹂躙されてもなすすべもなく泣き寝入りするだけになってしまいます。だから「疑う」「ウラを取る」という姿勢が必要です。
「一律」は思考停止を誘い、手段と目的のはき違えを起こす
ご興味があれば私のツイッターの過去履歴を見ていただきたいのですが、今回のコロナでも、私は全国一斉の休校にも緊急事態宣言にも疑問を呈してきました。「一律」ほど思考停止した愚かな発想はないと考えているからです。接触を減らせば感染は防げるものの、それではいつまでたっても免疫ができず、接触すれば再び感染拡大で終わりがない。あるいはインフルエンザのように、抗体が持続しないのかもしれません。
よって、軽症もしくは無症状が多い若年層で高齢者との接点がない人は、3密は避けつつ元気に活動したほうが良い。ただし重篤化しやすいと指摘されている高齢者や基礎疾患がある人は、確かに感染を避けるため自粛が必要である、という理屈です。
むろん考え方は人それぞれで、これが正しいなどと主張するわけでも他人に押し付けるわけでもありませんが、わが家ではこうした発想で行動してきましから、不便を強いられることなく、この時期の家族旅行はどこもガラガラで最高でした。収入は一時的に減りましたが、困窮するというほどでもありません。
一方で、自粛要請だからと何も考えず店を閉めてしまえば収入はゼロです。休校が続いて学業は遅れ、DVや虐待、援助交際などの問題も大きくなってきました。人一倍リスクに敏感な私でも、さすがにこれはやりすぎではないかと。
実際、廃業や整理解雇は加速しました。倒産は法的整理なので統計として算出できますが、統計に出てこない自主廃業は膨大な数に上ると思われます。つまり行政や専門家の言うことを鵜呑みにして経済的に死亡しても、教育格差が広がっても、誰も責任を取ってくれないわけです。だからそこ自分の頭で考える必要があります。
このような話はあちこちにあります。
専門家が言うことは正しいのか?
たとえばファイナンシャルプランナーや経済評論家のコラムなどで「持ち家は負債だから買ってはいけない」とか「保険はほとんど利息がつかないから掛け捨てが合理的」「余計なモノを持たないミニマリストでシンプルライフが理想」「投資初心者は投資信託から」などという主張を見ることがあります。
しかし本当でしょうか?
確かに無理な予算で住宅ローンを組めば、収入が減ったときに苦しくなる。しかし、それが利便性の高い場所で「ローン返済額より高い家賃で貸せる」物件を選んでいたとしたら、むしろ家計は改善するでしょう。
あるいは家を買うことは老後の家賃の前払いと考えることもできます。賃貸なら生涯家賃負担が続きますが、ローンを完済してしまえば住居費はほとんどかからない。年金生活になったとき、これは安心でしょう。そう考えると「一律に」持ち家は負債とか賃貸がいいとかはいえないわけです。
保険もそうで、以前書いたコラムのように、保険料控除という節税の仕組みを活用すれば、貯蓄型保険で年利6%もの利回りを叩き出すことが可能です。定期預金の金利が0.01%の現在、こんな有利な運用方法はなかなかないと思いますが、前述の専門家は所得控除を完全に失念しているのでしょう。
さらにはミニマリストのなかには、今回のコロナでトイレットペーパーやティシュペーパーがないという場面に遭遇した人もいたようです。感染防止が目的のはずなのに、自粛が目的になってしまうと困窮するように、ミニマルな暮らしが目的になると、災害備蓄までミニマルにして、本当に必要な場面で困窮しまうわけです。ちなみにわが家では自宅の新築時にストックルームを設け、水や食糧、ペーパー類など消耗品類を約半年分備蓄しています。
そして3月に暴落した株式市場の影響を受け、投資信託の多くも下落しました。私は逆にこの場面はチャンスであると個別銘柄で出動しましたが、もともと足腰がしっかりした企業の株価は早期に回復しました。しかし積立投資で毎月コツコツ積み上げてきた利益も、数年ごとにやってくる暴落相場で吹き飛ばされてしまうわけです。それが本当に初心者向けといえるのかどうか。
私の主張も大いに疑いながら読んでもらいたいのですが、大事なのは「誰が言っているか」に誘導されるのではなく、
「それ本当?」
「なんでそう言えるの?」
「それはどういう場面で有効で、どういう場面ではそうでないのか」
「本当の目的な何であり、そのためには何が有効なのか」
「それは誰にとって有利であり、誰にとって不利になるのか」
「誰も責任を取ってくれないとしたら、自分はどう備えるべきか?」
「結局のところ、本質的に重要なのは何?」
という、クリティカルな視点で事象を見ましょうということです。
(文=午堂登紀雄/米国公認会計士、エデュビジョン代表取締役)