もし、東京オリンピックが2021年に開催されるとすれば、各テレビ局はそれに対応した準備を具体的に進めているはずだが、今のところ、諸々の最終発表はされないままだ。それは、五輪関連の楽曲についてもしかりである。
嵐にスペシャルナビゲーターとテーマ曲を任せることになっていたNHKは大きく予定が狂った。
「NHK2020ソング」として米津玄師が手掛けた楽曲「カイト」をそのまま使うのか? 嵐に代わるナビゲーターを誰が務めるのか? 詳細は未発表である。「〈NHK〉2020応援ソング」として、同じく米津プロデュースによるFoorinの「パプリカ」もあるが、こちらを「カイト」と併用するのか? そのあたりも不明確だ。
また民放は、「東京オリンピック民放共同企画『一緒にやろう2020』応援ソング」として、桑田佳祐の「SMILE~晴れ渡る空のように~」という曲を用意しているが、同曲のみが使われるのか、局ごとに別途ほかの曲を流すのかもはっきりしていない。
そして何より、大会そのものの公式イメージソングもいまだ発表がない。本来、自国開催五輪ともなれば、イメージソングは国民に広く視聴され、感動的なシーンとオーバーラップされることで人々の記憶にも強く残るものとなることは間違いない。となればアーティストにとっては、これほどオイシいタイアップはないはずである。
本稿ではこうした観点から、「日本で開催されたもっとも新しいオリンピック」……つまり1998年の長野冬季五輪の際には、誰がどんな関連ソングを歌っていたか……をテーマとしたい。本稿を読めば、今も活躍中の多くのアーティストがそこにかかわっていたことがおわかりいただけると思う。
安室奈美恵は産休中…公式イメージ曲を歌った杏里が受けた屈辱
その前提として、長野冬季五輪が開催された1998年2月時点のJ-POPシーンについて簡単に触れておこう。まず、前年のCD総売り上げランキングは以下の通りだ(オリコン調べ)。
1.GLAY
2. globe
3.Mr.Children
4.安室奈美恵
5.B’z
6.SPEED
7.THE YELLOW MONKEY
8.Every Little Thing
9.ZARD
10.JUDY AND MARY
1990年代半ばに一世を風靡した小室哲哉の勢いは少し衰え、TRFのSAMと結婚した安室奈美恵は同年1月から産休期間に。モーニング娘。はすでに結成されているが、宇多田ヒカル、浜崎あゆみはデビュー前夜。ジャニーズ事務所からデビューした最新グループはKinKi Kidsで、嵐はまだ世に出ていない(嵐の結成は1999年9月)。
そんな時代に、もっとも“公式ソング”感の強い「1998年長野オリンピック冬季競技大会公式イメージソング」を歌ったのは、GLAY、globe、ミスチル、安室、B’zや、ウインターソングの第一人者・松任谷由実ではなく、なぜか杏里で、曲名を「SHARE 瞳の中のヒーロー」といった。
杏里は1980年代に複数のヒット曲を出し、1990年代初頭にはアルバムがミリオンセールスを記録するなどの実績を誇り、十分な実力を有していたが、1998年の時点では“時代を象徴するアーティスト”というわけでもなかった。実は、その不思議なキャスティングには、“4年のタイムラグ”が背景にあった。
同曲はGLAYや安室奈美恵のブレイク前、globeがデビュー前の1994年の時点で早々と、「公式ソング」としてリリースされていたのだ。このときは、オリコン週間チャート47位で終わっている。その後もこの曲はあまり人々に親しまれることはなく、五輪開催に合わせて1998年1月に再録音バージョンもリリースされたが、相乗効果でのヒットにもつながらなかった。杏里は閉会式に登場したが、なぜか「SHARE 瞳の中のヒーロー」ではなく、文部省唱歌「故郷」を歌唱するという微妙な扱いを受けたのであった。
テレビ局関連は、6枠中ジャニーズ2枠、元ジャニーズ1枠
次に、各テレビ局が長野五輪関連番組で使用していた楽曲をリストアップしてみたい。
▶NHK:F-BLOOD「SHOOTING STAR」
▶日本テレビ系:J-FRIENDS「明日が聴こえる」
▶TBS系:TRF「Unite! The Night!」
▶フジテレビ系:少年隊「湾岸スキーヤー」
▶テレビ朝日系:Romi「見つめていたい」
▶テレビ東京系:田原俊彦「愛は愛さ」
NHKの曲を歌ったF-BLOODというのは、今も活動する藤井フミヤと藤井尚之による兄弟ユニット。1998年時点で、すでにチェッカーズは解散している。
日本テレビ系のJ-FRIENDSは、阪神・淡路大震災の復興支援&チャリティー活動が目的で結成されたジャニーズ事務所のスペシャルユニットで、TOKIO、KinKi Kids、V6のメンバー計13名が参加、なぜかSMAPは不参加だった。
これは、2020年に新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、ジャニーズ事務所の主要グループのメンバーにより結成された「Twenty★Twenty」、通称“トニトニ”の原型ともいえるものだ。トニトニにもすでにジャニーズ事務所を離れた者もいるなかで、22年の時を隔ててJ-FRIENDSとトニトニの両方に参加したV6、KinKi Kidsの息の長さには驚かされる。なお、「明日が聴こえる」は堂々のミリオンセラーとなっている。
TBSで起用されたTRFの「Unite! The Night!」は、小室哲哉プロデュースかと思いきや、さにあらず。一時代を築いたTRFが小室ファミリーを離れてからの第一弾シングルだった。TRFはメンバー不動のまま、現在も往時と同じパフォーマンスを見せている。
フジテレビは、すでにシングルのリリースが途絶えていた少年隊に五輪番組のキャスターとイメージ曲を任せた。「湾岸スキーヤー」はもともと、屋内スキー場「スキードームSSAWS」(千葉県船橋市)のCM曲として山下達郎が作ったもの。それに歌詞を付けて楽曲として完成させ、少年隊がカバーしたのだ。“湾岸”というフレーズは、お台場に移転したばかりのフジテレビの新社屋を想起させるものだった。少年隊は2020年末に錦織一清、植草克秀がジャニーズ事務所を去ったことで、半永久的な活動停止状態にある。
テレビ朝日で楽曲が使われたRomi は、往年の名優・有島一郎の孫で、以前は「成田路実」の名義でタレント活動をしていた人物だ。GLAYのTAKUROによるプロデュースだったが、セールス的には不発に終わっている。
2021年に還暦記念ライブを予定している田原俊彦が、テレビ東京系のテーマ曲を歌っていた。ただし、当時はジャニーズ事務所から独立後の低迷期で、このタイアップも再ブレイクには結びつかなかった。
世界に放送された「WAになっておどろう」を歌ったのはV6ではなく角松敏生
最後に、長野五輪関連楽曲のなかでもっとも認知度が高いものの、2つの“勘違い”を生んでいる楽曲「ILE AIYE ~WAになっておどろう~」について言及したい。
この曲は、もともとは長野五輪とは無関係に制作され、1997年春にNHKの『みんなのうた』内で「WAになっておどろう~イレ アイエ~」というタイトルで流されていたもの。その際の歌唱アーティスト名はAGHARTAであり、作詞作曲としては長万部太郎という名前がクレジットされている。ところが同曲は、1997年5月のシングル発売に際し、「『スノーレッツ』(長野五輪公式マスコット)のテーマソング」というタイアップを得ることになる。
さらに、同年7月にV6がシングル曲「WAになっておどろう」としてカバーし、ヒットさせる。また、AGHARTA版も反響が大きく、『みんなのうた』で再放送される事態に。こうして、杏里の公式曲より知られる存在となってしまうのだ。
実は「長万部太郎」は、ミュージシャン・角松敏生の変名で、AGHARTAは角松を中心とした覆面バンドだった。彼らは、世界中でテレビ放送された長野五輪閉会式のラストに登場し、「WAになっておどろう」を生演奏した。このとき、曲にあわせて各国選手団が自由に体を動かし、国を超えて文字通り“WAになっておどる”という感動的なフィナーレが展開された。そのシーンが印象的だったため、いまとなっては「この曲こそ長野五輪のメインテーマ曲」だと認識されがちだが、名目上は公式マスコットのテーマソングというサブ扱いにすぎなかったのである。
また、当時幼かった人のなかには、V6が長野五輪の閉会式で同曲を歌ったと思い込んでいる人もいるようだが、それは明らかな記憶違いである。
さて、東京五輪の開会予定日まで半年をきった。「カイト」「パプリカ」「SMILE~晴れ渡る空のように~」以外の関連楽曲はどのアーティストが歌うのか? いつ発表されるのか? それとも発表されないまま終わるのか?