「ことわざ」の起源を遡っていくと、実は恐い一面があることをご存じだろうか。
先人たちの知恵や人生の処世術といったイメージのあることわざだが、人間の負の感情が起源となっていることもある。
『本当は怖い日本のことわざ』(出口汪監修、宝島社刊)は、本当は怖いことわざにスポットを当てて、その言葉が作られた経緯、用例や類似した語句を紹介。そして、現代においてその言葉がどのような意味を持つのかまで踏み込んで、社会批評や社会学的分析を施す。
ここでは、本書で紹介されている「本当は怖いことわざ」をいくつか挙げていこう。
■「寝首を掻く」
これは、油断している相手の不意をついて陥れるという意味だ。
戦国時代、武将や大名のあいだでは、敵将に対して友好の証し、または人質として自分の娘を嫁がせる政略結婚が当たり前のように行われていた。そして、嫁いだ娘には敵将が寝ているあいだに首を切ってしまうように小刀が渡されていたという。このエピソードから「寝首を掻く」というようになったという。
実際、備前の戦国大名である宇喜多直家は、娘を嫁がせて寝首を掻く暗殺が得意だったといわれている。
■「白羽の矢が立つ」
多くの人材の中から選抜されたという、良い意味で使われることが多いことわざだ。しかし、このことわざは、神に生贄を捧げる「人身御供」を選ぶ恐ろしい儀式に由来しているという。
はるか昔、自然災害は神の怒りによって引き起こされると考えられていた。その怒りを鎮めるためには少女の生贄となる「人身御供」を神に捧げる必要があり、そうすれば、村は自然災害から免れられると信じられていた。
その人身御供を選ぶ際に、少女の家の入口に白羽の矢を立てて目印にしたというのである。
「白羽の矢が立つ」は本来、「犠牲者として選ばれた人物」という恐ろしい意味で使われていたのだ。
■「藪蛇」(やぶへび)
いらぬことをしたせいで、かえって悪い結果を招いてしまうことを意味するこのことわざは、中国の故事成語に由来する。
魏晋南北時代に編纂された兵法書『兵法三十六計』で紹介されている三十六通りの戦術のうち、第十三計に「打草驚蛇」なる戦術がある。これは「草むらの中を不意に棒で打ったり払ったりすると、そこにいる蛇を驚かせてしまう」というもの。戦術としては「状況がよくわからない戦地においてはまず偵察を出して相手の反応を探る」という方法を示しているものだ。
この打草驚蛇という言葉が、日本ではいつしか「藪をつついて蛇を出す」という言い方に姿を変えて浸透したと考えられている。
本書には他にもたくさんの「怖いことわざ」が収められている。
本書を読んで、それぞれのことわざの成り立ちを追っていくと、怖いと感じながらも言葉の奥深さや面白みも感じるはずだ。
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。