2018年は、日本が近代国家への道を歩み始めた明治維新から150年目という大きな節目の年。また、平成は節目の30年となり、2019年の新元号施行に向けてこの30年を振り返る機会が多くなるだろう。
しかし、今年「節目」を迎えるのはこれだけではない。
意外なところでは、日本経済の心臓ともいわれる日本証券取引所の前身となる「東京株式取引所」が兜町内に設立されてから140周年、そして現在の場所に移ってから120周年を迎える。
昨今の投資ブームもあり、「証券取引」の仕組みについて勉強する人も増えているが、その歴史はあまり知られていないところだ。
そこで、こんな本を紹介しよう。
『証券市場誕生!』(日本取引所グループ著、鹿島茂監修、集英社刊)は、日本取引所グループがこれまでの膨大な史料を編纂。江戸時代から現代に至るまでの証券市場の歴史を豊富な図表とともに振り返る一冊だ。
本書では「江戸期」「明治・大正期」そして「昭和期(戦後)」と、3つの時代に分けてスポットライトをあてているのだが、それぞれに重要な「誕生」が存在する。
「江戸期」には、後ほど説明をするが世界最初の証券先物市場である堂島米市場が。「明治・大正期」には東京株式取引所が。そして「昭和期」には東京証券取引所が誕生する。この3つの取引所はそれぞれがその時代における日本の経済の中心を担い、その歴史を見つめてきたわけである。
ここでは、本書から興味深いトピックを2つ取り上げて紹介したい。
■世界最初の証券先物市場は日本・大坂だった
世界初めての公設証券先物市場は江戸時代、天下の台所「大坂」に設置されたことを知っているだろうか。
時は享保の時代。8代将軍徳川吉宗は、急落後なかなか上昇しない米価への対応に追われていた。
吉宗と側近の大岡忠相は市場介入などを行い、米の供給調整を目論むが上手く事が進まない。そこで1730年、幕府公認の米切手転売市場である「堂島米会所」を設立する。これは世界で最初の「証券先物市場」であったという。
この「堂島米会所」の設立の背景には、市場価格の直接介入を断念した吉宗が、すでにあった精密な市場機能の整備し、より機能的に運営させようという方向転換の狙いがあったのではないかと言われている。
そして、その後の米の価格は、乱高下することがあったものの、1730年代は安定的に上昇を続けたという。
本書によれば、この堂島米会所は当時の日本で最大の米市場だったが、現在の証券取引所が有する種々の制度と遜色のない制度を有していたそうだ。
■「東京株式取引所」設立から140年。「兜町」とは一体どんなところなのか?
日本橋兜町は日本経済の中心としてよく知られているが、以前は一体どんな場所だったのだろうか。本書を元に振り返っていこう。