――才能は「与えられる」ものではなく、習慣を続けた果てに「作られる」もの。才能は天から授かるものではないし、努力は苦しみのことではない。それを「習慣」というテーマで明らかにしたい。
こう述べるのは、作家・編集者・ミニマリストの佐々木典士氏だ。『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』(ワニブックス刊)でミニマリストの考え方を広めた佐々木氏が選んだ次なるテーマは「習慣」。それを新刊『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)にまとめた。
本書では、佐々木氏が習慣を身につけるまでに見つけた方法を心理学、行動経済学、脳科学の成果を踏まえながら解説している。
■ミニマリストが気付いた「才能」と「習慣」の関係とは?
ここで本書からピックアップするのは「才能」と「習慣」の関係について触れられている部分だ。
佐々木氏は習慣を通して「才能」というものの考え方が変わったと述べる。それは一体どういうことか?
アインシュタイン、ダーウィンといった天才たちは、「自分は凡人だ」と言っている。しかし、2人とも尽きぬ情熱を持っていたから、難しい問題にただひたすらに取り組むことができた。彼らは優秀さよりも継続の方が自分にとって重要だった、と述べているのだ。
では、才能は与えられるものではなく、もともとなかったところに後から生まれてくるものなのだろうか?
もちろん、努力さえ続ければ誰でも天才たちと同じになれるかと言えば、そうではないだろう。それは佐々木氏も同じ考えだ。
ただ、佐々木氏は「才能」という言葉の中にある、本来の「才能」の意味と「センス」という意味を分けて考える。そして、才能は「継続した結果、身につけたスキルや能力」のこと。スキルは、「習得するスピードのこと」だと指摘する。
続けていれば、才能は累積するだろう。しかし、自分よりセンスのある人の習得スピードを見ると、自分がやっていることがバカらしくなってしまうことがある。その人は、「才能がなかった」というよりは、単に「継続をやめたので才能が止まってしまった」ということだ。
また、才能は親から受け継いだ遺伝子は関わっているのか。もちろんその影響はあるだろう。ただ、少なくとも、遺伝で決まっている要素が大きいと考える人よりも、変えられる余地が大きいと信じている人のほうが、遠くへ到達できることは疑いようがない、と佐々木氏は述べる。
佐々木氏は、前作でお金とモノのコンプレックスから解放され、本書で「努力」や「才能」というコンプレックスから解放されようとしているという。
今の状況から変わりたい。自分には才能がない。そう考えている人は、習慣を続けることで、変わることができるのかもしれない。
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。