「自己実現」思想に破壊される新入社員たち…「この仕事は自分に向いていない」の根本的間違い
新入社員が半年で壊れていく
4月に新年度を迎え、新入社員がフレッシュな空気を運んできてくれた職場も多いに違いない。しかし、この状況が秋頃になると、なぜか一変してしまう傾向にある。公益財団法人日本生産性本部が毎年、新入社員を対象に春と秋に行っている意識調査にこの点が端的に表れている。
2017年度の調査結果を見てみると、「残業が多く、仕事を通じて自分のキャリア、専門能力の向上に期待できる職場」 と「残業が少なく、平日でも自分の時間を持て趣味などに時間が使える職場」と、どちらを好むかとの問いに、後者の「残業が少ない職場」と回答した割合が、春に74.0%だったものが秋には82.5%まで上昇している。また、「自分には仕事を通じてかなえたい『夢』があるか」との問いに「そう思う」と回答した割合は、春が60.1%だったのに対し、秋には40.4%まで低下している。
「条件の良い会社があればさっさと移るほうが得だ」と思うかとの問いに「そう思う」と回答した割合は、春が36.2%だったのに対し、秋は44.0%となっている。これでも売り手市場のなかで第一希望の会社に入社できた割合が増加したせいか、だいぶ数字が近づいてきており、この前年の2016年度では春に28.0%だったものが秋には54.6%と、2倍近くに上昇していた。
これらの調査結果からすると、入社からわずか半年の間に、新入社員は仕事に対する意欲が薄れ、夢に破れ、早くも転職を視野に入れ始めているということになる。なぜ、このような極端な変化がこれほど短期間に生じてしまうのであろうか。その原因として、日本社会に蔓延している「自己実現」思想が災いしていることが考えられる。
慶應義塾大学教授(現名誉教授)でキャリア論が専門の花田光世氏は、日本人材マネジメント協会(JSHRM)のシンポジウムでかつて、「キャリア自律思い込み症候群」という話をされていた。「自分の仕事が何か違うんだよね」「今の仕事では成長できない」「自分らしさを出せない」「マーケットバリューを高めることのできる仕事でないと……」といった感情に苛まれ、「新卒が1カ月で壊れていく現状の背景にこうした考え方がある」と指摘されていた。
「自己実現」思想のまやかし
いつの頃からか、「自分らしく生きなさい」とか、「やりたいことを見つけなさい」とか、「自分を活かせる道を探しなさい」など、「自己実現を目指しなさい」というメッセージが若者に刷り込まれるようになった。そもそもが、「自己実現」の意味を誤解していることから始まっているのだが、その点は後段に述べることとし、しばらくは一般に流布している、誤解された「自己実現」について語ることとする。
この誤解された「自己実現」の場合、その中身が曖昧ということがまずある。実現されるべき自己とは、どのようなものか。どのような状態が実現できれば、自己が実現されたことになるのか。自己が実現された状態の具体的なイメージがないまま、漠然と「何か違う」と思っているにすぎないのだ。
「自分に正直でありたい」という言葉は自己実現の思想を象徴するものとしてたびたび聞かれる。それ自体、否定されるべきことではない。しかし、取り違えると大変なことになる。「心からやりたいと思えない仕事は続けられない」となってしまえば、やりたいことだけで成立する仕事はないので、できる仕事はなくなってしまう。仕事は当然ながら、やりたくないことのほうが多い。楽しいことよりも、大変なこと、辛いことのほうが何倍も多い。そうした状況で、「これは私が望んでいた仕事ではない」と除外してしまえば、すべての仕事に適応できなくなってしまう。
たとえ向いている仕事であっても、苦労なく楽しくできるわけではない。にもかかわらず、どこかに自分にぴったりの仕事があって、さほどの苦労もなく「自己実現」が果たせるのではないかとの思い違いがあるのではないだろうか。こうした考えに取り付かれている人はちょっとした苦労があると、「この仕事は自分には向いていない」と言う。苦労なくできる仕事などないという当たり前の前提を、まずは受容しておく必要がある。むしろ、そうした度重なる苦労にも耐えられる仕事が向いているともいえる。そういう点からすれば、「どんな苦労ならば耐えられるだろうか」と考えるほうが、はるかに現実的ではないだろうか。
理念なき企業が「自己実現」を助長する
企業の側も、人材マネジメント上、短期的かつ個人的な方向性を強めているということもある。長期的に雇用を維持できないことに対するリスクヘッジの面も見え隠れする。なかには、「当社は社員の自己実現を支援します」などと謳っている会社すらある。私はそうした会社には何かしら胡散臭さを感じてしまう。それは一見耳障りはよく、社員を大切にしている風ではあるが、実際は理念なき企業の典型のようにも思えるのだ。企業は互助会ではないので、社員の自己実現を支援することを目的として設立されたわけではない。
企業は、社会へのなんらかの貢献を目的としており、それを実現するために社員を雇用している。会社としてこういうことをやっていきたいので、賛同する人は力を貸してください、というのが本来のあり方だ。よって、企業は企業として、何をやりたいのかを強く打ち出すべきである。そうでなければ、社員も会社を誇りに思うことはできないであろう。そういう会社が「社員を大切にします」と言ったところで、社員を幸せにできようはずはないのだ。
「自己実現」の本当の意味
さて、「自己実現」の本来の意味だが、この言葉は、モチベーション理論の一つである欲求理論の代表格としてよく知られる、「マズローの欲求段階説」の中にある言葉である。マズローは、自己実現を「人がそうでありうるものであらねばならない」と述べており、人間としての完成形をイメージしている。自己実現の中には、「他者との健全な関係性」や「他者の受容」など、自己のみならず他者の視点も含まれる。
「欲求段階説」は、生理的欲求や安全の欲求などの低次の欲求が満たされると、高次の欲求が生じるという考え方である。北九州市立大学准教授の山下剛氏は、「低次の欲求が満たされることで、他者に目を向けることができる」とし、「現状の事実に対して、私利に囚われない、より偏りの少ない客観的な認識が可能となってくるし、そのような認識に立てば、自分のためであると同時に他人のためでもある統合的な意思決定の可能性が開けてくる」と述べている(北九州市立大学『商経論集』第53巻,2018年3月)。
このように、現在日本社会に蔓延している、自己中心性を強調したかたちでの「自己実現」は、本来の「自己実現」ではない。単に言葉が勝手に独り歩きをした結果である。元甲南大学教授の杉村芳美氏が述べていたように、「自己実現」ではなく、「自己成長」という言葉に訳されていたら、だいぶ違っていたのではないだろうか。「実現」という言葉は、結果を想起させる。「苦労せずに何かうまく実現しはしないか」「実現しないのは、選んでいる道が違っているからではないのか」との発想をしがちである。「自己成長」という言葉であれば、プロセスに目が向き、苦労しなければならないことも自明となると思われる。
頭の中で連呼している問いかけを変える
誤った「自己実現」思想から逃れるためには、自分の中で連呼している問いかけを修正するのが早道だ。「自分は何がしたいのだろうか?」「自分には何が向いているのだろうか?」といった問いかけは捨て去るべきだ。それらの問いかけを続けている限り、答えのない中で堂々巡りをする可能性が高い。いわれのない不安や焦りの元にもなる。それと共に、自己に意識を集中させてしまうことになり、周囲との関係性を軽視する方向にさえ向かいかねない。
それらの問いかけに代えて、「自分は他者(社会)のために何ができるだろうか?」と問いかけてはどうだろうか。それにより、正しい自己認識が芽生え、マズローが唱えた本来の「自己実現」へと近づいていくと考えられるのだ。
(文=相原孝夫/HRアドバンテージ社長、人事・組織コンサルタント)