城攻め、奇襲、兵站、陣形など、歴史ファンにとって戦国時代の合戦は大好きなテーマだ。これらの合戦、実際はどうだったのか。小説やマンガ、ドラマで描かれているような合戦は、当時本当に行われていたのか。
『「合戦」の日本史 城攻め、奇襲、兵站、陣形のリアル』(本郷和人著、中央公論新社刊)では、東京大学資料編纂所教授・文学博士の本郷和人氏が、実際の生身の人間を相手にして行われる軍事というものは深い人間理解はなくしては成り立たないという戦場のリアルに立ち、城攻め、奇襲、兵站、戦法など、あらゆる観点から日本史における合戦を解説する。
戦国時代の合戦の「リアル」とは
軍記物や小説、マンガ、ゲームなどフィクションで描かれる合戦では、さまざまな戦術や戦法が登場する。そこでは、軍師がいて軍配を振り、軍勢を指揮して巧みに戦術を巡らせ、戦況を一変させる展開が描かれる。そんな展開がリアルな合戦においてあり得たのか。
戦国時代の合戦で「戦術」「戦略」「兵站」の3点が重要となる。たとえば、籠城線では、食料や物資の補給、いわゆる兵站がポイントとなる。城攻めの場合、強行に攻撃を仕掛けるか、城全体を包囲して補給を経ち、干上がらせて、相手が音を上げるのを待つという戦法がある。後者は籠城戦となり、籠城する側もこれを攻めて包囲する側も重要になるのが兵站の問題。
守る側からすれば、城に立て篭もるというのは、後詰めとして他から援軍が来るまで耐え忍ぶことが作戦のメインとなる。攻める側は、いかに多くの兵を揃えて、城を攻めるかがポイントになる。どちらの側も、食糧や物資の補給が勝敗を分けることになる。
この籠城戦に強かったのが、後北条氏の小田原城だ。普通、城下町というのは城の外にできるものだが、小田原城の場合、町が丸ごと城の内側にあったのだ。たとえ、大軍に包囲され補給路を断たれたとしても、城内に町があり、田畑があるので、再生産が可能だった。城郭研究的には、後北条氏の小田原城のような城は「総構え」の城と呼ばれている。
小田原城を攻める側は、難なく籠城され持久戦に持ち込まれてしまえば、戦いは長引いていく。長期化すればするほど、攻める側にも兵站の問題が出てくる。兵量などさまざまな諸経費を考えれば、1万人の軍勢をひと月動かすだけで、現在の価格で1億円以上かかったと言われている。籠城戦が長引けば長引くほど、攻める側にとっては金銭的にも痛手なのだ。実際、戦上手で知られた二大戦国勝軍、上杉謙信と武田信玄もこの小田原城攻めに挑んだが、補給が尽きて攻めあぐねて撤退している。
戦いとは数であり、軍事は経済というのは合戦の大原則。ただ、戦場にいた大部分の兵は殺し合いをしたくない、戦う気のない人たちだったということも考えなければ、合戦のリアルも見えてこない。戦争に人を駆り立てる士気というものが重要になるとも言える。そこには常に生身の人間の存在があるということ。合戦を理解するためには、根本的には「人間とは何か」という問いを考えるところに軍事史はあると、著者の本郷氏は述べる。本書から合戦のリアルを学んでみてはどうだろう。(T・N/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。