「空は政治なり」と言われたように、日中航空協定締結の交渉は単なる政府間の経済的な実務協定の交渉ではなく、政治的な実務協定の交渉でもあった。航空協定は他の協定と違って、直接に国家主権にかかわる事項(国旗や国家を代表する航空会社の問題など)が多いためである。即ち、航空協定を結ぶということは、日本政府が「中華人民共和国政府が、中国の唯一の合法政府であることを承認した」ことを意味するからである。
72年に日中で国交が正常化する時、周恩来が「わが国では水を飲む時には井戸を掘った人を忘れない」と謝意を伝えた民間人が岡崎嘉平太。隣国中国との国交断絶状態を憂い、貿易という場を利用した交流を発案し、国交樹立へとつなげた“陰の立役者”である。
戦後の日本は台湾政府と国交を持ち、共産主義国の中国に対してアレルギーがあった。その中で岡崎は、アカ、反体制財界人という批判を浴びながらも「相手を知ること」「相手の立場に立つこと」を信条に日中のパイプ作りに奔走した。特に周恩来とは、18回におよぶ会談を通じてアジアの安定と共存を語り合い、信頼と友情を深めていく。
国交正常化の後は日中青年研修協会を設立、留学や研修を通した“人の石垣”を築くことに情熱を傾けた。訪中100回、「信は縦糸、愛は横糸」と唱え続けた岡崎は、現在も中国で最も尊敬されている日本人の一人である。しかし、この「信」「愛」は今回の反日騒乱でその言葉の実体を失ってしまった。
■JUKIの山岡建夫・元会長
90年6月に上海重機ミシン有限公司を設立し、中国に拠点を持ったJUKI社は、世界シェア・ナンバーワンの工業用ミシンメーカーである。「世界の工場」としての中国にいち早く進出し、中国の経済・ファッション業界に精通している。JUKIの山岡元会長は、中国の生産性を高く評価していた。
JUKIはミシンの70%を中国で作っている。量産品は中国で作り、高級品は日本で作っている。中国で生産したものも海外に輸出している。
(製造拠点は)北京と上海にある。寧波には中国で部品を調達し、ユニットに組んでいる工場がある。
中国の売り上げは、工業ミシンは全体の35%、チップマウンタ(回路基盤に電子部品を搭載させる機械)という産業装置が40%、全体だと、全社の27%となっている。
■YKKの吉田忠裕・元社長
中国には92年に進出した。中国の呉儀・副総理は05年4月6日、YKKの吉田元社長一行と会見した。呉副総理は「中日両国の政府と経済・貿易界の共同の努力で、近年、両国間の貿易、投資協力が引き続き急速かつ安定的に発展している。YKKは世界最大のファスナー生産販売企業として、中国市場を非常に重視し、ファスナーや建材などの対中投資業務でよい業績をあげている」と指摘した。
また「YKKが中国の経済発展の好機をとらえ、引き続き投資を含むより幅広い対中経済・貿易協力を進め、拡大するよう希望する」と述べた。