2010年から約3年間、レスリング日本代表のコーチらに国から配られた助成金などの一部を、強化委員会に寄付させていた「キックバック問題」。日本レスリング協会は1月27日にオンラインの臨時理事会を開き、当時の責任者だった高田裕司専務理事(副会長兼務)の専務職と副会長職を解き、理事職に降格する処分を決めた。「不適切な目的外使用だが高田氏の私的流用はなかった」とされ、進退を理事会に一任していた高田氏は「ご迷惑をおかけしました」と処分を了承した。同職の後任については福田富昭会長に一任し、16人のコーチに寄付させた総額1400万円は国に返還する。
強化委員会は2010年~12年の間、代表コーチに国から払われた謝金・助成金の一部を委員会の口座に振り込ませていた。使途は海外のオリンピックでの記念品の購入や、海外遠征の慰労会費、外国のコーチが来日した時の懇親会や担当記者との懇親会など。新聞社、放送局などの記者たちも接待されていた。
「寄付」は高田氏の発案とされたが、振り込み先が協会ではなく事実を知らない役員も多かった。知っていた役員も「コーチ間の互助会的な性格」と判断して日本オリンピック委員会(JOC)に申告していなかった。「キックバック金」はJOCと日本スポーツ振興センター(JSC)に返還するが、閉会後のリモート会見で共同通信の記者が「コーチに返すべきでは」と尋ねていたが、正論だ。了承して寄付していたコーチもいれば、不満だったコーチもいるはずだが、あとはコーチたちの判断だ。
新聞報道では高田氏が不適切なことをして処分されたというだけの印象だが、栄氏のパワハラ騒動と同様、「10年近く前のことが、なぜ今さら」と不思議だ。最近のアマチュアレスリング界を少し振り返れば、「魑魅魍魎の蠢き」が通奏低音となって響いてくるのだ。
不可解な「告発状」
キックバック問題は、関東地方の高校でレスリング指導をしているA氏が昨年春、協会とJOCに送った一通の「告発状」が発端だ。告発状では、自分も含めコーチたちは高田氏に強制的に「寄付」名目で金を取られ、「高田氏は妻の東京でのマンション代に充てた」など「私的流用」が並べられ、高田氏は「とんでもないいがかり」と怒っていた。
ところが別の動きが出てきた。今回の臨時理事会と前後して、全国高体連レスリング専門部の原喜彦副理事長が「A氏にジュニアコーチの謝金を振り込まされていた。おかしいのはA氏のほう」などと主張し、実態を調べるように協会とJOCに「公益通報」したのだ。
レスリング協会の「古傷」に触るようで恐縮だが、記憶のある人も多いだろう。原氏は1992年のバルセロナ五輪男子フリースタイル74キロ級に出場。メダルも期待され5回戦まで勝ち進んだが、スタッフが計量時間を間違えたために失格してしまった「悲劇の主人公」でもある。現在は故郷の新潟県で高校教員を務める傍らレスリングを指導、A級審判としても活躍している。
筆者の取材に原氏は次のように語る。
「2008年から私は協会のジュニア担当コーチでA氏は強化委員長だった。私ら日本代表コーチに月30万円払われることになった。A氏は『高田さんに言われてる。金をこっちに振り込め』と言ってきた。日体大の先輩でもあり従ったんです。80何万円かを振り込んだ。その後、高校のナショナル合宿があり、高田さんから『あの金、選手に使ってやってよ』と言ってきたので『A氏に振り込みましたよ』と言ったら、高田さんは『えっ、なんで』と驚いていた」
ある協会関係者はこう明かす。
「高田氏はもともと、周囲の反対を押し切ってA氏をナショナルコーチに引き上げたが、A氏はのちに解任されて収入も減り、次第に高田氏に敵対していった。また、A氏は金に関しては問題の多い人だという話も関係者の間では聞こえてきます」
反協会の急先鋒
話は変わる。2019年7月、五輪5連覇を狙った伊調馨と2連覇を狙う川井梨紗子が東京五輪代表を争った「プレーオフ」が注目された。埼玉県和光市の会場に筆者も駆けつけた「世紀の決戦」は大激戦で川井が勝ったが、判定に不服だった伊調サイドの田南部力コーチが主審に暴言を吐き、退場や出場停止処分となる騒動もあった。この時の主審が原氏だった。
そういえば昨夏、キックバック問題について筆者が取材したA氏は、こちらから話題を向けたわけではないのに急にこの試合を持ち出し「でたらめな判定だ」などと激しく詰(なじ)っていた。全日本などの試合についても「山梨判定」などと高田氏を批判していた。高田氏が監督や教授を務める山梨学院大の選手に有利な判定をさせているという意味だろう。
原氏は「高田専務とこじれたA氏は反協会の急先鋒になり、マッチポンプのように引っ掻き回している。実は馳氏も松浪氏も彼に利用されている」と語る。馳氏とは元プロレスラーの馳浩氏。協会副会長で元文部科学大臣の衆院議員だ。松浪氏とは協会顧問で日体大理事長の松浪健四郎氏。元衆院議員。
高田氏は「馳副会長は理事会内で執行部を突き上げることが多かった。今回も『総辞職だ』と強調していた。自分も辞職することになるが、政治力で返り咲いて会長職を狙う魂胆でしょう」と語る。A氏の告発状の宛て先が文科省広報担当の官僚だったことからも、告発に馳氏が絡んでいることがうかがえる。
高田氏の会長就任を阻止?
「なぜ今頃」といえば、例の栄氏の「パワハラ騒動」を想起する。18年1月、突然、内閣府に「栄和人氏が伊調馨選手の練習を妨害した」などとする告発状が届いた。さらに原因が合宿などでの伊調―田南部コンビの勝手な振る舞いだったにもかかわらず、栄氏が伊調氏を叱責したことばかりを強調。「伊調氏が可哀そう」の世論を煽り、栄氏は強化本部長の座を追われた。
この告発状、伊調氏とのことばかりが注目されたが、実は協会の金の使途について虚偽事実を並べて激しく批判しており、協会執行部を入れ替えたい狙いが透けていた。これは至学館大学からレスリング界の覇権を日体大に持っていきたい松浪氏の思惑とも一致していた。
さて、高田氏。「私が納得して事が収まるのならそれでいいと思ったよ」などと話してくれたが「A氏だけは許せない」と怒る。「私の名を使って金を巻き上げたことは、証拠の記録や通帳は原氏がJOCにも送っている。それを見て判断してもらえばいい」と話す。
レスリングは伊調、吉田沙保里を筆頭に女子選手の大活躍でスポンサーも増え、協会には国からも強化費などさまざまな名目で金が入った。それをめぐるゴタゴタにせよ、不満ならその時に訴えればいい。「パワハラ騒動」同様、年数が経ってからの告発には別の意図しか見えない。東京五輪後に退くはずだった福田会長の後任としては高田氏が最有力だった。
協会内の「不祥事」を煽り立てて執行部の責任を追及するA氏や馳氏ら「クーデター派」は、高田氏の会長就任を阻止したかったようだが、肝心の五輪が延期され開催の雲行きも怪しくなり焦っているようだ。