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山田修「間違いだらけのビジネス戦略」

この中小企業を見よ!ゼロから創業60年、成長し続ける秘密…新卒入社の退職者ゼロ

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松田商工の松田学社長
 本連載前回記事『ディズニーR隣に同じ広さの「鉄の国」があった!壮観な工場群・浦安鉄鋼団地の秘密』で千葉県浦安にある広大な浦安鉄鋼団地を紹介した。東京ディズニーリゾートに近い埋立地に造成された107万平方メートルという広大な敷地に270もの事業所が操業している。そのすべてが鋼材を加工する工場か、その物流に携わっているという、ほかに類を見ない単一業界の工業団地だ。私は「鉄の秋葉原」と前回記事で形容した。


 約270の事業所は、およそ200の企業が保有・操業している。どのような会社がこの鉄鋼団地で事業を営んでいるのか。『MONUMENT 浦安鐵鋼団地協同組合創立50周年記念誌』に同団地造成初期から操業している枢要な数社が紹介されているので、そのなかにあった株式会社松田商工を事例として取り上げたい。

 創業者の松田秀夫氏(現相談役)は、1930年生まれ。16歳で生まれた北海道岩見沢市で国鉄の駅員となった。20歳のときに上京して鉄屑屋に飛び込み、24歳で独立して松田商店を創業した。やがて亀戸に2つの鋼材加工工場を持つが、いずれも60坪ほどの広さだった。中小というより零細といっていい典型的な町工場だったわけだ。

『間違いだらけのビジネス戦略』(クロスメディアパブリッシング/山田修)
 62年に鉄鋼団地の募集があったとき、いきなり4コマ分として1600坪の申し込みをして同業者を驚かせた。それまでの規模の10倍以上を申請したからだ。

 この勝負が見事に成功した松田氏は、10年後の同団地第2期募集ではさらに1800坪を買い増し、第2工場を竣工するに至っている。75年に現社名とした。

 第1工場はガス溶断を主業務としていたが、第2工場は折り曲げ、ロールを増設して加工専門の工場として発足した。折り曲げロール加工に進出したことが、同社の発展を今に至るまで支えた英断といっていい。

 2代目社長だった松田中氏(創業者の甥)を挟んで、松田学氏が現在の3代目社長に就任したのは2008年。学氏は創業者の長男で、そのとき50歳、満を持しての登板だった。今回は松田学社長に話をうかがった。

コツコツ、コツコツ、とにかく地道にがんばるのが中小企業


――松田社長は学卒ですぐに家業に入社されたのですか。

松田氏 いいえ、新卒したときは鋼材専業の商社で勉強させてもらいました。松田商工に入社したのは26歳のときです。

――社長に就任なさってから8年。ビジネスはどんな具合に発展したのでしょうか。

松田氏 社員の数でいえば、55名だったのが95名になりました。近いうちに100名の大台に乗せられれば、と願っています。年商は23億円ほどです。