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江川紹子の「事件ウオッチ」第63回

【豊洲・盛り土問題】での謝罪は形だけ!無責任を極める石原元都知事の「罪」と都政の行方

文=江川紹子/ジャーナリスト
【豊洲・盛り土問題】での謝罪は形だけ!無責任を極める石原元都知事の「罪」と都政の行方の画像1メディアは「石原元都知事、豊洲問題を文書で謝罪」と報じたが--(「石原慎太郎公式サイト」より)

 新聞の見出しなどでは「謝罪のコメント」とあったが、全文を読んでみて呆れた。これでは「謝罪」というより、自己保身的な言い訳と取材拒否の通告書と受け止めるべきだろう。

 築地市場が移転する東京都・豊洲の敷地で、土地の汚染対策として行うはずだった「盛り土」が主要な建物の下にはなされていなかった問題で、石原慎太郎元東京都知事が、発言を変遷させた揚げ句に発表した文書を読んだ私の感想である。

形式的な謝罪の言葉

 文書の趣旨は以下の2点で、反省の弁にはほど遠い。

(1)自分ももう年で記憶もはっきりしないから取材には応じない。事の真相は、都の職員に聞いてくれればわかる。

(2)自分が強引に今の工法をとらせたという一部の報道は事実に反する。

 確かに、冒頭に「まことに申し訳なく思っております」、末尾に「責任を痛感いたしております」という、石原氏らしからぬ殊勝な表現を置き、本文を挟む体裁をとっている。しかし、それは「手紙の書き方」に出てくる「時候の挨拶」と「結びの言葉」と同じくらい、形式的なもので中身がない。

 なにしろ、彼が「申し訳なく」思っているというのは、「私の東京都知事在任中の件で、皆様に多大な混乱やご懸念を生じさせるなど」していることであり、「痛感」しているという「責任」は、「私の都知事在任中の件に端を発してこのような事態になっていること」についてであって、己が知事としてなしたこと、なさなかったことに対する反省ではない。「今後事実関係を明らかにする検証を行う場合には全面的に協力するつもり」とはあるが、今回の問題に関して、自分自身にどのような責任があるか、自ら考察した形跡は、文書からはまったく伺えない。

 現在、盛り土問題で問われているのは、次の2つの点だ。ひとつは、豊洲の市場としての安全性。もうひとつは、東京都のガバナンスのありようである。

 前者については、移転は当面延期され、専門家会議が再招集されて検証を行っている。施設の安全性の判断は、地下水をくみ上げ浄化する地下水管理システム施設をしっかり稼働させ、その効果もふまえて冷静に行う必要がある。断片的な情報で、ことさらに危険イメージを膨らませるのは好ましくない。さまざまなデータや専門家の議論はインターネット上でしっかり公開し、外の目がチェックできるようにすれば、解決への道は開ける。

 より悩ましいのは後者だ。そもそも小池百合子都知事の問題提起に対して、都がすぐに「いつ、誰が、なぜ、どのようにして」工法の変更を行ったのか説明していれば、これだけの騒ぎにはならなかったろう。それができないことがわかっており、東京都が抱える構造的な欠陥あるいは弱点を象徴している問題だからこそ、小池都知事はここに焦点を当てたともいえる。

石原氏が現場に与えた影響

 問題提起がなされてから2週間たっても、全容が判明しない。ここに、都のガバナンスの体たらくが見て取れる。その責任者はガバナー、すなわち都知事である。

 石原氏は、豊洲への移転、土壌汚染対策としての盛り土を決め、主な建物の下に盛り土を行わない工法がとられた時の都知事として、物事の決定過程がかくも不透明であり、虚偽情報を公表する結果になったのは、どこに問題があったのかを深く考え、自省してもらいたい。

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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