本連載記事で、「立派な大企業」と「中小企業・普通の会社」という対比をしましたが、立派な企業に勤めていることは、どれくらい幸せなことなのでしょうか。
もちろん人それぞれですが、ひとついえることは、金銭的な面においては、同業種で比較すれば文句なく立派な大企業のほうが恵まれているでしょう。単純な金額だけでなく、雇用や退職金、老後の保証という点も含めればなおさらです。総合家電メーカーで早期退職を実施したり、銀行の数が減ったりしましたが、中小企業の世界を見れば、割増退職金など支払われないまま企業が倒れるということは珍しくありません。
給与や雇用が定年、あるいは定年後まで保証されていることは、今や羨望の眼差しで見られます。しかし見逃せないのは、そうした人気のある場では、必然的に優秀な人材同士での競争を強いられることがあるということです。もともと優秀であった人でも、ちょっと人づきあいが苦手だったり、気が利かなかったり、あるいはアンラッキーな出来事や人員の配置ミスなどに巻き込まれ、トラブルを起こしたりすれば、20代でも早々にネガティブなレッテルを貼られたりします。
高条件が足枷となる歳の取り方
そうしたレッテルなり評価なりは、なかなか覆すことは難しく、さらに“レッテルを貼った人たち”と何十年にもわたって同じ企業に居続けなければなりません。評価の高い同期が仕事を楽しんでいるのが視界に入ったりすると、複雑な心境に陥ります。
そこで別の企業で違う環境を求めようとすると、固定収入が下がってしまう可能性が高いので、それを受け入れなければならないという難しい判断があります。金銭的には恵まれているというプラスがある一方で、自分の場所を変えにくいというリスクがあります。
企業としても財務的に余裕がある状態であれば、低評価の社員を無理に追い出してトラブルに発展すれば面倒なので、その社員が能力を持て余そうとも時間単価に見合わないパフォーマンスしか発揮していなくとも、何か業務をしていてくれればそれでいいと捉えます。
当事者はこうして、何十年も不完全燃焼を続けることになります。もともとIQや偏差値が高かったりするので、お酒の席では知性を感じさせるような面白い会話ができたりもしますが、それを仕事として生かせる場がまったくなく、その企業にいる限りは将来はよほどのことが起こらない限りはありません。