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今年の干支「丁酉」、60年に一度の大騒乱に?火の災害多発→好景気の歴史?

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ニワトリ(「Wikipedia」より/かなぷー)
 謹賀新年。


 今年は酉年、十二支の10番目に当たる。この「酉」とはニワトリのことだが、「鳥」や「鶏」と区別して特に「酉」と書く。形声文字として音を当てたにすぎず、文字の原義としてはこの意味はない。「酉」の字は、元は「酒壺」を表す象形文字から転じたもので、今でも酒または酒壺の意味を持っている。そのため、部首としては酒類や発酵させてつくる食品などを表す文字に使われることが多い。

 また、今年の干支は「丁酉」(ひのととり)となる。本来、「干支」とは「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の十干(じっかん)と「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の十二支を組み合わせたものであり、同じ干支は60年に一度めぐってくることになる。60歳を「還暦」と称するのは、生まれた干支が再びめぐってくるからだ。

 それでは、丁酉とはどのような年なのだろうか。過去の歴史からその傾向を探って、本年の動きを占ってみよう。

地方発の反乱が国政を揺るがす事態に?


 まず想起されるのは、地方からの大きな動きが見られる年ということである。文明9年(1477年)に応仁・文明の乱が終息。しかし、11年の長きにわたる争いによる政治の空白化は、時代を地方の大名・国人らが群雄割拠する戦国の世へとシフトさせていった。最初期の戦国大名とされる伊勢宗瑞(北条早雲)が、駿河守護家今川氏の家督相続に介入するべく関東に下向したのは、この頃であったといわれている。

 また、たとえば天保8年(1837年) には、大坂において大塩平八郎の乱が発生。前年まで続いた天保の大飢饉に伴う米価の高騰によって庶民生活は困窮しており、大坂町奉行所の元与力である大塩平八郎が門人らと共に困民救済を唱えて反乱を起こしたのである。

 同じ頃、越後国柏崎においては生田万の乱が発生、「大塩門弟」と称して代官所を襲撃した。いずれの反乱もその日のうちに鎮圧されたが、幕府に大きな衝撃を与えるものであった。

 さらに、明治30年(1897年)は足尾銅山鉱毒事件の被害者が上京して請願運動を行っている。この陳情の結果、明治政府は銅山鉱毒調査委員会の設置と鉱毒予防令の発布を行うことになる。

 今年、国政に影響を及ぼすような大きな動きが、地方から湧き上がるのかもしれない。

過去には歴史的な大火や大噴火も発生


 次に、丁酉は火にまつわる大規模な災害が多い。明暦3年(1657年)には、明暦の大火が起きている。明和の大火、文化の大火と並んで江戸三大大火の筆頭に挙げられるこの大火は、当時の江戸市街のほとんどを焼き尽くしたといわれている。このときに江戸城の天守閣も焼失し、それ以降は現在に至るまで復興されていない。

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