2012年12月10日、原子力規制委員会が日本原子力発電の敦賀原子力発電所2号機直下の破砕帯(断層)について「活断層の可能性が高い」との見解を示したことで、敦賀原発の再稼動が極めて困難になったからだ。原電側が「活断層ではない」との明確な証拠を示さない限り、2号機は国内で初めて安全面を理由に廃炉になる可能性が高い。
保有する原発3基のうち敦賀1号機と2号機が廃炉になれば、計画している敦賀3号機、4号機の建設も絶望的だ。11年3月11日に発生した東日本大震災による被害で停止した東海第二発電所1号機も東海村が廃炉を求めており、再稼動のめどは立っていない。原電は実質的に動かせる原発がゼロになる。
経済産業省は原電が今年度中に全3基を廃炉にした場合、資産の目減りや廃炉費用で2559億円の損失が発生、933億円の債務超過に転落すると試算した。そうなれば金融機関から新たな借り入れができなくなり経営が破綻する。
原電が破綻すれば、債務保証している電力各社は債務の肩代りを求められることになる。電力各社の経営が打撃を受けるのは必至。原電破綻のドミノ現象が起こる。
●日本の電力会社が支える原電の歴史と摩訶不思議な収支体制
原電は日本の原子力政策の象徴である。1957年5月、電力会社の社長会で、電力会社9社が出資して原子力発電振興会社を設立する案が打ち出された。電力9社は、原子力発電は民間主体で行うことを考えていた。当時の原子力委員会委員長だった正力松太郎も民間案を支持した。
これに対して、同年7月に国営企業として設立された電源開発は「原子力発電は政府主体で行うべきだ」という意見書を提出して真っ向から対立した。経済企画庁長官だった河野一郎が政府主導の原発を支持し、この問題は正力・河野の対立に発展した。
正力側がはじきだした原子力発電の電力コストは、キロワットあたり2円50銭だった。これに対し、河野側の試算では7円。正力側は「採算がとれるから民間主体でやれる」と主張し、河野側は「採算がとれないから政府主体でやるべきだ」と反論した。
安いコストを提示した正力側が勝ったが、正力は河野の意見を取り入れて妥協を図る。国営企業の電源開発の出資を受け入れ、官民一体で日本初の原子力発電が進められることになった。
57年11月1日、電力会社9社が80%、電源開発20%の出資で日本原子力発電株式会社が設立された。現在(12年3月末時点)の資本金は1200億円。電力会社9社が合計で85.04%。内訳は東京電力28.23%、関西電力18.54%、中部電力15.12%、北陸電力13.05%、東北電力6.12%、九州電力1.49%、中国電力1.25%、北海道電力0.63%、四国電力0.61%である。
さらに、04年に民営化された電源開発(現JーPOWER)が5.37%。一般株主は142人。日立製作所0.92%、みずほコーポレート銀行0.71%、三菱重工業0.64%などだ。
茨城県那珂郡東海村の東海第二発電所の1号機と福井県敦賀市の敦賀発電所の1号機、2号機の3基の原子炉を保有し、発電した電力は株主である電力各社に販売している、電力の卸会社である。
東海第二は78年11月28日に営業を開始。出力は110万キロワット。敦賀原発2基の総出力は151万7000キロワット。1号機は70年3月14日に運転を開始し、発電した電気が同日開幕した大阪万博会場に送られ「原子力の灯が届きました」とアナウンスされた。2号機は87年2月17日に営業運転を開始した。