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『高嶺の花』野島伸司は脚本を思いつきで書いている可能性…石原さとみも投げやり演技

文=吉川織部/ドラマウォッチャー
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 石原さとみ主演の連続テレビドラマ『高嶺の花』(日本テレビ系)の第6話が15日に放送され、平均視聴率が前回から0.4ポイント減の7.8%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)だったことがわかった。野島伸司氏が脚本を手がける同ドラマは、華道の名門に生まれ、圧倒的な才能と美貌を兼ね備えた月島もも(石原)と、お金も地位もない自転車店主・風間直人(峯田和伸)が繰り広げる「怒濤の純愛エンターテインメント」という触れ込みだ。

 だが、「石原の演技がウザい」「峯田が気持ち悪い」といった役者陣への批判のほか、「ストーリーの意味がわからない」「華道の話が多すぎる」など脚本への批判も噴出しており、それに伴って視聴率も続落している。石原さとみを主演に据えておきながら7%台まで視聴率を下げたとあっては「爆死」と言われても仕方がない状況だが、筆者はこれでもまだ高い数字だと思っている。本来なら、5~6%まで下げてもおかしくない。そのくらい、この作品はひどい。

 第6話でも、新人脚本家が書いたのではないかと思えるほどの、ダメダメな展開が続いた。なかでも、直人との結婚を急ぐももが、実は彼を土壇場で振ろうとしていた――という事実が明かされるあたりの展開は特にひどかった。新興流派の華道家である宇都宮龍一(千葉雄大)がまずそれに気付いて月島なな(芳根京子)に伝え、ななはその内容をそっくりそのまま直人に伝えるという“二度手間システム”が発動したのだ。

 シチュエーションとして、あってもおかしくないが、何もバカ正直に同じ内容の台詞を2度も視聴者に聞かせてくれなくていい。そこは普通、龍一から何事かを耳打ちされたななが、その内容を直人に伝える――といったかたちで、1度の台詞でスッキリ終わらせる場面だろう。よほど書くことがないのか知らないが、尺稼ぎにもほどがある。だいたいにして、ももの企みに気付くのが龍一である必然性もまったくないし、ななも腹黒く次期家元の座を狙っているくせして、何を善人ぶって直人に告げ口しに行っているのか。登場人物の行動が場当たり的すぎる。

 渦中のももは、「次期家元になるためには『もう一人の自分』が必要で、それを出現させるためには罪悪感が必要」という、このドラマ独自の“トンデモ理論”に基づいて直人を振ろうとしている。我々にはまったく理解できない理論だが、なぜか華道家には常識らしく、龍一もななもこの理論をすんなり受け入れているようだ。冷静に考えればそんな理屈があるはずもないのだから、そのせいで月島家の人々が苦しむ様子を見せられても、「こいつら全員バカなんじゃないのか」としか思えない。華道界を舞台にした設定は悪くなかったと思うが、ありもしないヘンテコな芸術論を軸としてストーリーを展開するのは完全に失敗だったのではないだろうか。

 そんななか、第6話では一応、2つほど衝撃の展開があった。家元(小日向文世)の妻・ルリ子(戸田菜穂)と不倫関係になり、ななの家元就任を画策している龍一が、実は家元とも通じていたことがまずひとつ。2つ目は、家元が次期家元の本命としていたのは、ももではなく妹のななだったと明かされたことだ。

 とはいえ、このドラマで描かれる華道界には人を平気で裏切るような人間しかいないようだし、龍一も相当腹黒いので、敵対しているふりをして実は家元と通じていたとしても別にそれほど驚きではない。それよりも、これまでももが次期家元になるのは既定路線であるかのように振る舞っていた家元が、実は「なな派」だったことには驚いた。驚いたというより、後付けではないかと疑った、と言ったほうが正確だ。

 家元はこれまで明らかにななを軽んじていたし、ルリ子が願い出なければ、ななを次期家元候補として考慮することもなかったに違いない。これまでのストーリーの中で、家元が本当はななを応援していた、と受け取れる伏線もなかったはずだ。脚本の野島氏が急に思いついてねじ込んだ後付け設定だと考えたほうがしっくりくる。そもそも、家元は人間性はともかく、芸術には厳しい人間のはず。華道家としての技量に優れたももを「実の娘ではないから」と退け、明らかに技量が劣るななを「実の娘だから」という理由で次期家元の座に就けようとするのは、人物設定として矛盾している。視聴率低迷の打開策として、話をこじれさせればいいと考えているようにしか思えない。これでは、ますます視聴者離れを招くだけではないのか。

 そんな混迷した第6話は、ももの元婚約者・吉池拓真(三浦貴大)が挙式中に突然現れ、ももを直人から奪っていくという、今どきどの脚本家も恥ずかしすぎてやらないような場面でラストを迎えた。これだけでも「よくやるな」とあきれたが、連れ去られるももを見てほほ笑む直人の笑顔が異様に気持ち悪く、あらためて「峯田は石原の相手役としてミスキャストだった」との思いを強くした。またしても都合よく、直人の母が生前に語っていた教訓話が回想されるのもウザすぎる。なぜこんなに視聴者をイラつかせることばかり織り込めるのか、不思議でならない。

 石原さとみも、あまりにもダメすぎる脚本と視聴率の続落に気持ちがノらないのだろうか。運転手の高井(升毅)に愚痴をぶちまけるシーンで、アイドル上がりの女優もどきのようにただどなり散らすだけの、投げやりなクソ演技を見せた。あんな石原さとみは見たくなかった。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)

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