山口組「宅見勝射殺事件」、不可解な警察の捜査の真相

作家の宮崎学氏(撮影=佐々木和隆)

 1997年8月に発生した五代目山口組宅見勝若頭の射殺事件【※1】から20年あまり。平成最後の年を目前にした昨年12月、事件のキーマンとされていた元五代目山口組若頭補佐の中野太郎氏が著書『悲憤』(講談社/中野太郎著、宮崎学監修)で事件の真相を明かしたことが注目されている。

 1月22日付記事『宅見勝射殺事件、五代目山口組・渡邉芳則組長の指示だった!21年目の真相告白』では、同事件の裏側について、療養中の中野氏に代わって本書の監修を務めた作家の宮崎学氏に話を聞いた。今回も、警察の捜査動向や同様に謎が多い八幡事件などについて、引き続き宮崎氏の話をお伝えする。

ヤクザ社会しか“居場所”がない者たち

――「週刊現代」(12月22日号/講談社)の書評欄で、社会学者の宮台真司さんが『悲憤』を「ギリシャ悲劇のよう」と評して話題になりました【※2】。

宮崎学氏(以下、宮崎) まさに理不尽な悲劇ですね。うまいことを言うなぁと思いました。『仁義なき戦い』の名セリフにもあるように、ヤクザの仕事とはほぼ「間尺に合わない」のですが、ヒットマンは特にそうですね。それでも、今もヤクザ社会にしか居場所がない者も多い。そういうところも、行間から読み取っていただければと思います。

『悲憤』(講談社/中野太郎著、宮崎学監修)

――なるほど。「ヤクザにならざるを得ない者たち」の気持ちについては、宮崎さんは以前から書かれていますよね。『悲憤』には、中野会のちょっとおもしろいエピソードも書かれていて、ヤクザ組織が「居場所」であることもうかがえます。

宮崎 特に中野さんは怖いけれど若い衆に慕われていたから、おもしろい話はけっこうあるんです。時代も、それを許していましたね。

――一方で、宅見事件では警察の動きも気になりました。捜査が後手に回っていたのは不思議ですね。

宮崎 そうですね。事件当日、現場となったホテルの監視カメラにも実行犯の姿が残されていたのに、実行犯の指名手配は半年後でした。しかも、詐欺など別件での容疑です。

 さらに、1人目の逮捕は事件から約1年もたってからでした。また、実行犯は中野会の組員だったにもかかわらず、中野さん自身は逮捕されませんでした。私は「中野さんを逮捕しろ」と言っているわけではありません。今は療養中で取り調べも厳しいでしょう。しかし、別の事件ではトップに責任が及んでいるのに、なぜ逮捕されなかったのか。これはおかしいと思っています。

 たとえば、宅見事件の後に司忍六代目を含む山口組の幹部がボディガードに拳銃を持たせていたことで逮捕、起訴され、六代目は懲役にも行っています。 これについて、宅見事件以降に拳銃所持の取り締まりが厳しくなったという見方がありますが、では八幡事件はどうでしょうか。宅見事件の約1年前に、京都府八幡市の床屋で中野さんが銃撃された事件です。

 所持どころか、中野さんの目の前で中野さんのボディガードがヒットマンを射殺しています。でも、中野さんは逮捕されていません。ボディガードだけが長い懲役に行きました。

――確かに八幡事件は謎が多いですね。ヒットマンは会津小鉄系の組員でした。

宮崎 そうです。詳しくは『悲憤』と『ヤクザと東京五輪2020 巨大利権と暴力の抗争』(徳間書店/宮崎学、竹垣悟)を読んでいただきたいのですが、山口組は田岡一雄三代目時代に京都の会津小鉄と「不可侵条約」のような約束をしていたといわれます。

 確かに京都の中心地である旧市街には、表向きは山口組は入ってきていません。でも、実際には中野さんほか多くの山口組関係者が事務所を構えていました。

 ただ、八幡市に中野さんが住むようになると、さすがにトラブルが増えるんですね。中野会と会津小鉄の若い衆がケンカを繰り返すようになります。死者も出てしまったことで、会津小鉄としては中野さんを亡き者にしたいというのはあったと思います。

 ただ、そうした背景があっても、山口組の二次団体を会津小鉄が襲撃するのは腑に落ちません。これについては、中野さんが宅見さんの「関与」を感じていました。ヤクザの世界ですから、私もそれはあるかもしれないと思います。

『悲憤』にも書かれていますが、事件の直後に大阪にいるはずの宅見さんから安否を気遣う電話があったそうです。現場は京都ですし、中野さん自身も何が起こったのかわからない状況のなかで、なぜ宅見さんは事件を知り、連絡してきたのでしょうか。こうした「謎」について、中野さんはひとりで考えてこられたのです。

暴力団とは何か、暴排とは何か…

――2018年は、宮崎さんは本書のほかに書き下ろしと対談を手がけられました。

宮崎 書き下ろしも前から準備していて、もっと早く出せればよかったのですが、体調の都合のほかに資料を読み直したりして、時間がかかりました。

 以前に書いた『近代ヤクザ肯定論』(筑摩書房)は、私なりにヤクザを歴史的に分析したかったのですが、「難解すぎる」というご指摘も多かったので、『山口組と日本 結成103年の通史から近代を読む』(祥伝社)は時系列でわかりやすくまとめました。最近の「貧困暴力団」などのテーマについても書いているので、ぜひお読みください。

 また、対談は徳間書店の編集者から「暴排を推進している元暴力団員」の竹垣悟さんと議論してほしいと言われたんです。私はもともと「反・暴排」なので、白熱しておもしろい議論になりました。

 話してみると、竹垣さんの主張もヤクザの世界の嫌な部分をたくさん見てきたからこそですから、それは一理も二理もあるわけですよ。もちろん、竹垣さんも私の反論に納得してくれるところもあって、あらためて「暴力団とは何か」「暴排とは何か」という議論ができました。

 そういう視点から、50年前と今回の東京オリンピックについて話し合ったんです。まぁ50年前は、竹垣さんは中学生、私は大学生だったので、いずれにしろオリンピックの利権にはあずかれていませんけどね。

――竹垣さんは、もとは四代目山口組の竹中正久組長率いる竹中組の直参で、四代目の射殺事件後に中野会に移籍されています。

宮崎 はい。中野さん襲撃事件と宅見さん射殺事件も経験されています。特に中野さん襲撃のときはボディガードとして現場にいたそうで、本書も興味深く読んでいただきました。

 対談のときに「中野会長の本を出すなら、いろいろ協力したのに」とも言われましたが、取材をしている頃は知り合いではありませんでしたから。ただ、竹垣さんは「元暴力団員のくせに暴排とはけしからん」と一部で批判されているため、『悲憤』では竹垣さんの名前を出すのは自粛しています。

 たとえば、中野会と横山やすしとの関係などついては、竹垣さんの著書『極道ぶっちゃけ話 「三つの山口組」と私』(イースト・プレス)に詳しく書かれているので、読んでみてください。

――今年もご健筆を期待しています。

宮崎 ありがとうございます。ひとまず対談本の企画をひとついただいていますが、あとは未定です。まだまだ書きたいことはあるので、生きているうちはがんばりたいですね。
(構成=編集部)

【※1】
1997年8月、神戸市内のホテルのラウンジで五代目山口組・宅見勝若頭が射殺され、居合わせた一般客も流れ弾に当たって死亡した事件。国内最大組織のナンバー2の殺害と一般客の犠牲に「暴力団」への批判が高まった。事件当日から、山口組執行部は中野太郎会長率いる中野会の犯行と断定したが、警察の捜査はなぜか遅く、実行犯の指名手配と別件逮捕は半年後になる。絶縁処分を受けた中野会長は、自ら「うち(中野会)はやっていない。いずれ(山口組に)復帰する」とだけ語り、あとは沈黙を守った。

【※2】
「義理よりカネ」の不条理に翻弄された、元組長の悲劇

●宮崎学(みやざき・まなぶ)
1945年京都生まれ 監修を務めたベストセラー『悲憤』(講談社)のほか著書・共著多数。月刊『週刊実話ザ・タブー』で「宮崎学のブッタ斬り時報」を連載中。

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