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“昭和最後”にして“平成最初”の1989年1月を考察する【第3回】

カルロス・ゴーン登場の10年前、日産自動車がいまだイケイケだった“昭和最後”の7日間

文=ミゾロギ・ダイスケ
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“非ジャニーズ”の大人気アイドルが非業の事故死

 昭和62年(1987年)、田原俊彦、近藤真彦、シブがき隊、少年隊、この年デビューし爆発的人気を得た光GENJI、さらにデビュー予備軍として男闘呼組、少年忍者(のちに忍者)が控えていたジャニーズ事務所は、すでに芸能界において強い影響力を保持。そのため、他事務所に属する男性アイドルがブレイクすることは極めて困難な環境にあった。なお、チェッカーズ、吉川晃司がアイドル的な人気を博して売れたのは、それより数年をさかのぼる、光GENJI登場前の話だ。

 そんな頃、非ジャニーズの男性ソロアイドルが、デビュー曲をオリコントップ10圏内に送り込むという快挙があった。

 高橋良明は、昭和60年(1985年)に12歳で出演したテレビドラマ『うちの子にかぎって2』(TBS系)で注目され、昭和62年(1987年)に『オヨビでない奴!』(TBS系)の主演に抜擢された若手俳優だった。人気の高まりを受け、同年11月に『天使の反乱』で歌手デビューし、この曲はオリコンで9位というヒットを記録する。さらに翌年にかけて、第2弾、第3弾シングルもオリコン10位圏内に。これは男性アイドル史に残る快挙中の快挙といえた。ただし、歌番組への出演機会はほとんどなく、『ザ・ベストテン』(TBS系)のランキングではベスト10入りしていない(あるいは“忖度”が働き、させていない?)。

 児童劇団の出身の高橋は、本業の俳優業も順調で、昭和64年元日に放送が始まったNHK大河ドラマ『春日局』に、主人公の幼少期の兄役でキャスティングされていた。

 そんな矢先のことだ。1月23日、突然、彼の訃報が流れたのである。

 1月5日の夜、高橋は神奈川県内を中型オートバイで走行中に、人身事故を起こし、自らも駐車中の自動車に激突。病院へと搬送されたが、23日になって帰らぬ人となったのだ。まだ16歳だった。

  なお、被害者は大腿骨を骨折する重症。高橋は普通自動二輪車の免許を取得していなかったとされている。

『春日局』はすでに収録済みで予定通り放送。2月末から放送のテレビドラマ『ツヨシしっかりしなさい』(日本テレビ系)への主演が決まっていたが、こちらは、当時はSMAPに属していた現・オートレーサーの森且行が演じることとなった。

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