山田ルイ53世が語る「東大に入れる」と言われた少年が、挫折してお笑い芸人になったワケ」
2008年、「ルネッサ~ンス!」とワイングラスを鳴らす“貴族漫才”で大ブレイクしたお笑いコンビ・髭男爵。そのひとり、山田ルイ53世は現在、文筆業でも大活躍中である。数々の一発屋芸人たちの裏側に迫ったルポルタージュ『一発屋芸人列伝』(『新潮45』に連載、2018年に単行本化)は、「第24回 編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞。さらに、今年1月に出版されたエッセー集『一発屋芸人の不本意な日常』(朝日新聞出版)も好評を博している。
そんな山田には、知る人ぞ知るもうひとつの顔がある。関西の名門・六甲学院中学に入学しながら、そこで大きな“挫折”を経験しているのだ――。
兵庫県神戸市灘区にある同校は、1937(昭和12)年にカトリック修道会のイエズス会によって設立された、中高一貫の有名進学校。関西から全国にその名を轟かせる灘(偏差値77、兵庫県神戸市)、東大寺学園(偏差値73、奈良県奈良市)などには及ばないながらも、中学入試における最新偏差値は堂々の66。高校の進学実績は東京大学に10人、京都大学に18人、大阪大学に26人という数字を誇る。【偏差値はシリタス調べ。進学実績は同校発表の2019年版】
一方で、世は学歴ブームである。先行き不安な現代社会のなせるわざか、テレビでは『東大王』(TBS系)なるクイズ番組が人気を博し、ホリエモンこと堀江貴文は『ドラゴン堀江』(AbemaTV)で東大を再受験し、“東大脳”“ハーバード式”を謳う多くの本が書店に並んでいる。そしてその波は、お笑い業界にも及んでいる――。
“高学歴芸人”の名のもとにクイズ番組に出る芸人もいれば、芸人として大活躍しながら実は高学歴、という者も珍しくない。最近の若手だけに絞ってみても、にゃんこスター・アンゴラ村長(早稲田大学文学部)、メイプル超合金・カズレーザー(同志社大学商学部)、ひょっこりはん(早稲田大学人間科学部)、霜降り明星・粗品(同志社大学中退)等々枚挙にいとまがないほどだ。
ではいったい、芸人にとって学歴とはどのような意味を持つものなのか? 2回にわたるインタビュー企画の前編に当たる本稿では、過酷な中学受験を乗り越えながら、大きな挫折を経験して“一発屋芸人”としてブレイクし、そしていま、その類いまれな分析力と文章力とで注目を集めている芸人・山田ルイ53世に、自身の受験経験について話を聞いていく。
【インタビュー後編はこちら】
たった半年の受験勉強で中学受験を突破
中学受験を突破したときは、は近所で「神童」と呼ばれるほどの秀才だった山田ルイ53世。中学受験で中高一貫の名門進学校・六甲学院中学に合格し、サッカー部では中学1年生の頃からレギュラーだった。
「周りから神童だと言われていたというより、今振り返ると自分で『神童感があったな』って思う程度ですけどね。中学受験をしたのも、たまたま同級生が日能研の参考書を読んで、奈良学園とかを受けるなんて話していて、『お、中学受験カッコええな』って思ったのがきっかけですから」(山田・以下同)
一般的に中学受験といえば、小学4年生くらいからその対策や塾通いを始めることが多いが、山田が受験しようと思い立ったのは小6の夏のことだったという。
「地元の個人経営の塾に入ったんですが、受験テクニックを教えてくれるような塾でもなんでもなかったから、結局自分で勉強するしかなかった。だから、ひたすらひとりで勉強していたという感じ。当時は徹夜でずっと勉強していたから、体調もおかしくなりましたよ。小6なのに白髪が生えたり、尿に蛋白が出たり。まあでも、最初から日能研とか四谷大塚とか、ちゃんとした受験対策を教えてくれる塾に通っていたら、逆に半年で合格なんかできなかったかもしれない。そもそも小6の夏に六甲学院を受けたいと言い始めても、ちゃんとした塾なら「どうせ無理だから」と門前払いでしょうしね。いいふうに考えると、しょうもない学習塾でかえってよかったのかも(笑)」
そして1988年4月、山田は六甲学院に無事入学する。エリートたちが集う進学校のなかにあって山田は、中学進学後も成績優秀で、担任の教師から「将来は東大に入れるよ」と言われるほどだった。
「今考えると、将来に対する明確なビジョンがあったわけではないんですよね。学者になりたいとか、いい大学に行っていい会社に入って……くらいのふんわりした気持ちはあっても、将来の夢が具体的にあるわけではない。『ほめられて気分よくなりたい』とか『おれすごいな、って感じるのが気持ちいい』とかしか勉強のモチベーションはなかった。そんな虚栄心だけで中学受験に成功したのは、我ながらすごいとは思いますけどね(笑)。でもやっぱり、明確なビジョンもなく学歴だけが目的で受験勉強をしても、決していい結果にはつながらないんだろうなって思いますね」
最寄り駅である阪急・六甲駅から山田が通う六甲学院までは急な坂道となっており、徒歩30〜40分かかるという。山田は中2の夏、その坂道で大便を漏らしてしまう。その事件をきっかけに不登校となり、そのまま、約6年間の引きこもり生活を送ることとなるのだ。
夜逃げ同然で上京、お笑い養成所へ
「引きこもっている間も基本的には神童感がうっすらくすぶっていて、焦りも絶望感もあるけど、どこか『自分は優秀だから大丈夫。取り返せる』っていう思いがありました。でも、20歳手前の時に成人式のニュースをテレビで見て、『このままだと同級生たちに置いていかれる』という焦りが一気に襲ってきて。とにかくこの状況を脱さないといけないけど、いきなり社会に出て働く自信もないし……ということで、大検を受けたんです。大検の対策は、中学校までにやっていた勉強だけでどうにかできたという感じでしたね。中学校の時は学年で3番以内とかに入ることもあったし、当時の蓄積があったからよかったんだと思います」
大検をパスした山田は、四国の国立大である愛媛大学法文学部を受験し、見事合格する。
「センター試験だけで合否が決まるところを選んだだけです。当時は“引きこもり感”をまだ引きずっていたので、めでたい空気とかもなんかいやで、入学式にも行ってないんです。確か履修ガイダンスから行ったんだけど、そこからいきなりミスっているんですよね。注意事項をよく聞かずに科目を選んでしまい、ちゃんと調べてみたら、4年で卒業できないことがその1年の時点で確定しちゃって。もうそのときすでに、大学に対するモチベーションは完全に失われていたと思います」
そして山田は、バイト先で知り合った1年上の先輩とコンビを組み、お笑いの道に足を踏み入れることとなる。
「先輩の彼女が通っている短大の学園祭で漫才ができるからって誘われたんですよ。で、そこで実際に漫才をやってみたら、そこそこウケて、それで勘違いしてしまうんです。短大の学祭なんて身内ウケだし、ウケるのは当然なんですけどね。そこから、今度はフェリーで大阪に行って、2丁目劇場(心斎橋筋2丁目劇場、1999年に閉館)のオーディションなんかも受けましたね。でも、高松で吉本大博覧会というイベントに出た時、相方の先輩がネタを飛ばしちゃったんですよ。それで彼は責任を感じたのか、急に『俺は芸人じゃなくて作家になりたいねん』って言いだして、お笑いを辞めてしまうんです。結局その後、その人は就職したんですけどね。大学に対するモチベーションもないし、相方もいないなら愛媛にいる意味もないし……ってことで、東京の養成所の試験を受けて、夜逃げ同然で上京するんです」
お受験番組でトップの成績
流れに身を任せるかのごとく、大学を離れ、芸人の道を進んでいった山田。
「基本的には、芸人になりたいわけではなかったんです。学業の世界で失敗して、なんの思い入れもなく愛媛の大学に行っても結局ダメで、今度は夜逃げ同然で東京に出て……。もう逃げの連続でここまで来ているようなもの。逃避行です。お笑いで飯が食えるようになったのは31〜32歳くらいのときなんですけど、それまでは、仕方なくお笑いをやっていたんです。『お笑いを辞めたらいよいよもうやることがない、死ぬくらいしかない』って思いでやっていただけで、『お笑いで天下を取りたい』といったモチベーションでもなかった。だから正直、芸人と学歴の関係を語るこのインタビューのような企画には向いていない芸人なんですよ(笑)」
中学受験で難関校に合格し、当時の教師をして「君は東大に入れる」と言わしめたという経験が、芸人生活に生かされるということはあるのだろうか?
「単純に、クイズ番組や勉強系の番組で有利になるというのはあると思いますよ。以前、テレビ東京で『ド短期ツメコミ教育 豪腕!コーチング!!』という番組があって(2006〜2007年に放送)、その中で、芸能人が東大を受験するという企画があったんです。で、その出演のために一斉模試みたいなものを受けたんですけど、そのなかで僕、200名中トップの成績でしたからね。結局いろいろあって番組本編には出なかったんですが、そういうふうに、勉強ができる、学歴があるということが芸人の仕事に繋がるという側面は確かにあります。ただ、芸人として学歴を生かせたかどうかと問われると、ちょっと違うのかもしれません。国立とはいえ四国の愛媛大学はそんな有名でもないし、テレビ的には中途半端、そもそも中学受験した学校も退学しているわけですしね……僕の中では実質中卒に近い感覚ですね」
高学歴芸人も少なくない、現在のお笑い界。今、芸人にとって学歴が高いということはどのような意味を持つのか? そもそも学歴が高い芸人が増えているのはどうしてなのか──。【後編】では、芸人であることと学歴との関係について、山田ルイ53世がより深く分析していく。
(文・構成=相羽 真)