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木村貴「陰謀論のリアル」

隠蔽された日清戦争の日本の蛮行…朝鮮の農民5万人を殺戮、韓国の反日感情の根底

文=木村貴/経済ジャーナリスト
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日本軍歩兵の一斉射撃(「Wikipedia」より/World Imaging)

 

 今年は1894年(明治27)の日清戦争の開戦から125年目にあたる。正式な宣戦布告は8月1日だが、後述するように、実際には7月下旬から戦争は始まっていた。

 日清戦争は近代日本が初めて体験した本格的な戦争であり、歴史的な意味が大きい。ところが、10年後に始まった日露戦争が司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』やそのドラマ化によってよく知られるのに比べると、一般の印象は希薄なようだ。しかし、この戦争こそ、その後の日本の進路を決定づけた戦争にほかならない。

 日清戦争の目的はなんだったのか。その伏線は開戦のおよそ20年前にさかのぼる。1875年(明治8)、日本の軍艦、雲揚号が朝鮮の江華島沖で挑発的な行動をして朝鮮側の砲台と交戦する事件(江華島事件)を起こし、これを契機に1876年には日本は軍艦を送って日朝修好条規を結び、朝鮮を開国させる。

 日朝修好条規の第1条には「朝鮮国は自主の邦にして、日本国と平等の権を保有せり」という規定を盛り込む。当たり前の内容のように見えるが、そこには清国を宗主国とする朝鮮の伝統的な外交関係を断つという、日本側の重大な意図が隠されていた。

 日朝修好条規は、治外法権を定め関税自主権を与えないなど、かつて日本が欧米に強制された不平等条約と同様の内容だった。日本はかつて自分たちが強制されたことを、朝鮮に対して強制したのである。これにより朝鮮人は日本への反感を強めていく。

 1894年春、朝鮮で大規模な農民の反乱が起こった。きっかけは、うち続く飢饉と政府による圧政、地方役人の不正・腐敗に対する怒りである。武装蜂起した農民らは人間の尊厳と平等、博愛を解く「東学」の思想運動によって結びついた。かつては東学党の乱と呼ばれたが、現在では東学農民戦争といわれる。

 農民軍は逐洋斥倭(日本と西洋の駆逐)などをスローガンに掲げ、全羅道の全州を占領する。朝鮮国王は清国に援兵を要請。日本も朝鮮に出兵する。日本と清国の介入を見て、朝鮮の農民軍は同年6月に朝鮮政府と急遽、全州和約を結んで停戦した。

朝鮮王宮の占領

 この停戦によって日清両国軍が朝鮮に滞在する理由は消滅した。日本はなんとか理屈をつけて清国と戦端を開こうと、あれこれ画策するがうまくいかず、とんでもない暴挙に出る。朝鮮王宮の占領である。

木村 貴/経済ジャーナリスト

木村 貴/経済ジャーナリスト

経済ジャーナリスト。1964年熊本生まれ、一橋大学法学部卒業。大手新聞社で証券・金融・国際経済の記者として活躍。欧州で支局長を経験。勤務のかたわら、欧米の自由主義的な経済学を学ぶ。現在は記者職を離れ、経済を中心テーマに個人で著作活動を行う。

Twitter:@libertypressjp

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