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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

日本の航空会社のラウンジには、なぜ“特別感”がない?欧米に比べて休憩室並み

文=篠崎靖男/指揮者
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【完了・7日掲載希望】日本の航空会社のラウンジには、なぜ特別感がない?欧米に比べて休憩室並みの画像1
「Getty Images」より

クラシック・コンサートでは、どうして演奏中に拍手をしてはいけないんですか? こういうのがハードルを上げている原因だと思いますよ」と、僕の演奏会を聴きに来てくれた親しい友人に尋ねられたことがあります。

 クラシック音楽は、基本的にマイクロフォンを使わない生音のみで聴かせるだけでなく、とても小さな音で演奏したりするので、そんな時に拍手をすると、ほかの観客の邪魔になってしまうし、たとえ大きな音が鳴っていても、クラシック音楽は音と音との複雑さを楽しむ部分が大きいので、やはり観客は静かに耳を傾けています。

 しかし、彼は「少なくとも楽章の間に拍手をしてはいけないのはおかしい」と言うのです。これには僕も同意します。

「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」と始まることで有名なベートーヴェンの『交響曲第5番 -運命-』をはじめとした交響曲は、一般的には4つの楽章から構成されており、ひとつずつの楽章の役割が違いますが、ほとんどの場合、最後の第4楽章は派手な音楽です。そのため、観客は最後の楽章を聞き終わり、派手なエンディングで興奮して盛大な拍手をすることになります。

 しかし、チャイコフスキーの最高傑作、交響曲第6番『悲愴』のように、なかにはその習慣を変えることで印象を強くすることに成功した作品もあります。この交響曲では、あえて第3楽章にとても派手な大盛り上がりする音楽を置き、最後の第4楽章にはゆっくりした音楽を配置したのです。最後は静かに消え入るように終わるので、観客は拍手もできず、2000人の会場がひっそりと静まり返った瞬間、指揮者は大成功を確信する曲なのです。

 19世紀末に流行った退廃主義の影響もあり、それ以降、最後を静かに死に絶えるように終える曲が多くつくられました。そんななかで、バレエ『白鳥の湖』で有名な作曲家チャイコフスキーは、時代の最先端でした。

「篠崎さん。チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』の第3楽章がいくら派手だからといって、欧米では、これから第4楽章が始まるにもかかわらず、拍手するような観客などいないでしょうね。ところが日本では、まだ拍手をする人がいて困るんですよ」

 あるオーケストラの事務局員の方が、こう嘆きました。これに対し、僕はこう答えました。

「いやいや、欧米では第3楽章のあとで拍手をしないところこそ珍しいですよ。あんなに盛り上がっているのに拍手を我慢しているのは日本くらいです」

 その盛大な拍手が終わり、第4楽章を始めるために指揮棒を下ろすとき、僕はものすごく嬉しく感じます。

日本の空港ラウンジ、なぜ“特別感”がない?

 本場の欧米では、観客はとてもストレートに反応します。そこには、よくいわれている“クラシック音楽の垣根”などありません。それどころか、オペラ劇場で出来が悪かった歌手に対して、観客が激しくブーイングしたりしているのを聞いていると、ちょっとくらい垣根があったほうがいいのではないかと思ったりするくらいです。しかし、そこにはある程度のクラシック音楽特有の暗黙のルールがあり、そのひとつが演奏中に拍手をしたりして音を立てないということなのです。それが垣根を高くしていると言われれば、「それが魅力でもある」と反論したくなります。

「クラシックファンは、その垣根を楽しんでいる」と言ったのは、日本のクラシック専門の大手音楽事務所社長でした。コンサートホールで優雅に着飾った観客が何を欲しているかというと、クラシック音楽の“特別感”です。もちろん、ジーンズとトレーナーで聴きに来てもいいですし大歓迎ですが、それでもコンサートホールに一歩足を踏み入れれば、その特別感を感じることができると思います。

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