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日本史の陰のキーマン 忍者はどのように誕生したか?

新刊JP
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※画像:『日本史の真相に迫る 「謎の一族」の正体』 (青春出版社刊)

 『忍者ハットリくん』『忍たま乱太郎』『NARUTO-ナルト-』など、今も昔も忍者は子供たちのヒーローだ。それだけではなく、海外からのNINJA人気も高い。


 忍者が活躍したのは戦国時代。織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も忍者を使っていた。日本各地に忍者は存在していたが、その中でも有名なのが伊賀忍者と甲賀忍者だ。忍者はどのように誕生し、戦国時代にはどんな活躍をしたのか。

 

■伊賀忍者と甲賀忍者 一体何が違うの?


 忍者をはじめ、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で話題の明智光秀や織田信長など、彼らの先祖や出自、子孫など、その一族の栄枯盛衰に注目したのが、『日本史の真相に迫る 「謎の一族」の正体』 (歴史の謎研究会著、青春出版社刊)だ。


 現在の三重県北部の伊賀国を拠点にしたのが伊賀忍者。滋賀県南部の近江国甲賀郡を発祥とするのが甲賀忍者。両地は高旗山を挟んで隣接している。


 両地域は政治の中心地である京都から近く、古来から小豪族がひしめいていて、小競り合いが絶えなかった。そんな環境だったため、諜報活動や工作活動、奇襲戦などが代々受け継がれ、戦国時代になると周辺諸国の大名から傭兵として従軍を要請されるようになった、というのが忍者の成り立ちのようだ。


 では、伊賀と甲賀の忍者は戦国時代をどのように生き抜いたのか。


 伊賀忍者は徳川家康に仕え、後に江戸城に警備を担当することになるが、そのきっかけとなったのが家康の人生で最大の危機の一つとなる「神君伊賀超え」だ。


 家康が信長から招待され、堺見物を楽しんでいたところに、信長が明智光秀に討たれる「本能寺の変」が起こる。家康自身も光秀に命を狙われることになるが、たまたま一行に伊賀者が付き随っていたため、家康を道案内し、伊賀国経由で三河まで無事に帰還することができたという。


 このときの功によって、伊賀衆は徳川家に仕えることになる。二代目服部半蔵こと服部正成が束ねる伊賀衆200人が江戸城西側の者を警備したことから、この門は半蔵門と呼ばれるようになる。


 一方、甲賀忍者は、信長の配下となり、信長が倒れると替わって天下人となった秀吉に仕える。秀吉は家康の動静を監視するために、伊賀衆と対立関係にある甲賀衆を雇い入れたと伝えられている。


 秀吉が亡くなると、甲賀衆は家康に接近。「関ヶ原の戦い」の前哨戦となる「伏見城の戦い」では、篭城軍に加わり、ほとんどが討ち死するも、家康がこのときの働きを称え、甲賀衆の子孫を召し抱えて甲賀組を編成。甲賀組は代々、江戸城大手門、下城門、中之門、城内の警備を担当した。


 日本史の中でひそかに重要な役割を果たしていた忍者。歴史の人物たちの一族のつながりと系譜に注目した本書をきっかけに、さらに深掘りして自分で調べてみるのもいいかもしれない。日本史がもっと楽しくなるはずだ。
(T.N/新刊JP編集部)


※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。

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