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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

オーケストラ、実は世界中で“国際規約違反”が横行…舞台上で秘かに行われる緊張のバトル

文=篠崎靖男/指揮者
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「Getty Images」より

 オーケストラコンサートに行ったことがなくても、テレビでオーケストラを少しでも聴いたことがある方は多いと思います。開演時間となり、オーケストラが舞台上に集まっても、肝心の指揮者は、まだいません。そこで何が始まるかというと、コンサートマスターが立ち上がってチューニングを行うわけです。たったこれだけの作業ですが、実はオーボエ奏者とコンサートマスターの間では毎回、真剣勝負のような“丁々発止”が行われているのです。

 このチューニングですが、クラシック音楽の場合は「ラ」の音で合わせます。音階は“ドレミファソラシド”と「ド」から始まるのに、なぜチューニングは途中の「ラ」で行われるのかというと、古代ギリシャ時代では音階は「ラ」が基本だったからです。細かく説明すると長くなるので、とにかく「ラ」でチューニングをするとご理解ください。とはいえ、英語やドイツ語では、この「ラ」をアルファベットの最初の「A」と表現し、日本語の音名も“いろはにほへと”の「い」なので、やはり基本的な音として扱われています。

 そんな「ラ」の音を正しくオーケストラ全体に伝えるのが、オーボエの一番奏者の大事な仕事です。オーボエ奏者が吹いた「ラ」の音を、まずはコンサートマスターが合わせ、それから周りの楽器が合わせていきます。

 オーボエ奏者はチューナーを目の前に置き、音の高さを確かめながら、真剣そのものです。途中で音が狂うことはもちろんですが、少しでも音が揺れてしまうことも許されません。もし、試用期間中のオーボエ奏者の初仕事の時に、そんなミスを起こしてしまったら、あっという間にオーケストラの楽員に悪い先入観を持たれるでしょう。1年後に行われる正式採用にも響くかもしれません。反対に、最初から正確な「ラ」を一発で出せたとしたら、まずは第一関門通過です。

 さて、チューナーも正確なピッチを指しているにもかかわらず、コンサートマスターが音を合わせてくれないといった事態が発生した場合には、若いオーボエ奏者は背中が凍る思いがするでしょう。コンサートマスターとしては、「ほんの少しピッチがずれている。これでは、オーケストラ全体でチューニングできないよ」と無言で伝えているのです。実は、もっと怖いことに、コンサートマスターだけではなく、オーケストラメンバー全員がピッチの違いに気づいているのです。そんな時に、もし反対にうっかりとコンサートマスターがそのままチューニングを始めてしまったら、今度は「あのコンサートマスターは耳が悪い」という烙印を押されることになるのです。

コンサートマスターとオーボエ奏者、水面下で繰り広げられるバトル

 随分前のことですが、ある日本を代表するオーケストラの奏者から、こんな話を聞いたことがあります。そのオーケストラは、新しいコンサートマスターを探していました。しかし、コンサートマスターというのは、本連載記事『オーケストラ演奏中の指揮者の「ジェスチャー」の秘密…コンサートマスターは特別な存在』でも書いたように、通常の奏者と同様にオープンなオーディションを行う国もあることはありますが、推薦を受け特別なオーディションを設定されていることがほとんどです。

 コンサートマスターはオーケストラのなかでも特別な存在で、ほかのオーケストラでバリバリ弾いてきた有名なコンサートマスターが移動してくることもあるため、それなりの対応をしなくてはなりません。そんな場合、まずはゲスト・コンサートマスターとして試されることも多く、本人も“候補”とされていることは重々、理解しています。

 さてそんなある日、ゲストとしてやってきたコンサートマスター候補が立ち上がって、チューニングが始まりました。これまでも、オーボエ奏者の「ラ」の音は、ほんの微かに低い傾向があったものの、これまで指摘するゲスト・コンサートマスターはいなかったそうです。しかし、このゲストは一向に弾き始めず、「少し音が違います」とオーボエ奏者に無言で伝えたのです。それを見ていた僕の友人の奏者は、「あのコンサートマスターは耳が良い。彼はいいね」と好印象を持ったと話してくれました。

 しかし、オーボエ奏者にしてみれば、これまでプライドをかけて吹いていたチューニングを否定されたことになります。一方、コンサートマスター候補にとっては、そのまま飲み込んでしまえば楽員から信頼を得られなかったでしょう。そんな丁々発止のような状況が無言で起こっているのが、チューニングなのです。

 観客からすれば、チューニングなんて演奏前の簡単な作業のひとつのように思われるかもしれませんが、極度に緊張を強いられる作業であることがおわかりいただけるのではないでしょうか。しかも、オーケストラによって「ラ」のピッチ、つまり音の高さが微妙に違っており、日本のオーケストラでは「442ヘルツ」が標準ですが、ヨーロッパでは少し高くなり、世界最高峰のベルリン・フィルなどは「446ヘルツ」まで上げられたこともあったそうです。ですから、ゲスト・コンサートマスターやソリストも、オーケストラに合わせて変えていく必要があるのです。

オーケストラは世界ルールに違反している?

 実は、音というのは少しでも高くしたほうが音の輝きが増す性質があるので、オーケストラはどんどん高くする傾向があります。特にソリストなどは、オーケストラよりもほんの少し高めに調整することで、自分の音を目立たせています。

 とはいえ、一般家庭に設置されるピアノは「440ヘルツ」で調整されていることがほとんどです。したがって、自宅のアップライトピアノでオーケストラと共演しようとしても、ピッチが違うので演奏できないということになります。もちろん、プロのオーケストラなら、なんとか合わせてくれると思いますが、いつもと違うピッチで弾くことは、ちょっとやりづらいことに変わりありません。

 しかし、本当は「440ヘルツ」が正式なピッチで、これは国際会議で物々しく決まった規則です。音楽の音のピッチまで国際会議で決めるものなのかと思われるかもしれませんが、1870年に物の長さをメートル法に統一するメートル条約が国際会議で締結されたように、ピッチも討議に討議を重ねて決められたのです。

 実は、バッハやモーツァルトの頃は、音の高さは場所によってまちまちでした。極端なケースでは、半音も違う場所まであったのです。そうすると、「ド」の音がほかの街や国に行くと「シ」になってしまうわけで、演奏家が違う国の奏者と演奏しようとすると、支障をきたしてしまいます。そこで、1885年にウィーンで会議が行われて「435ヘルツ」に決められたのです。しかし、それでも演奏家は徐々に音を高くすることやめなかったので、1939年に再度ロンドンで会議が開かれ、最終的に「ラは440ヘルツ」と決められて、それが現在でも続いています。

 どこの国でピアノを購入しようと、メーカーが違っても、440ヘルツで調整されているのは、国際会議で決まったルールなのです。そう考えると、オーケストラは国際ルールを破っているのです。

(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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