
オーケストラコンサートに行ったことがなくても、テレビでオーケストラを少しでも聴いたことがある方は多いと思います。開演時間となり、オーケストラが舞台上に集まっても、肝心の指揮者は、まだいません。そこで何が始まるかというと、コンサートマスターが立ち上がってチューニングを行うわけです。たったこれだけの作業ですが、実はオーボエ奏者とコンサートマスターの間では毎回、真剣勝負のような“丁々発止”が行われているのです。
このチューニングですが、クラシック音楽の場合は「ラ」の音で合わせます。音階は“ドレミファソラシド”と「ド」から始まるのに、なぜチューニングは途中の「ラ」で行われるのかというと、古代ギリシャ時代では音階は「ラ」が基本だったからです。細かく説明すると長くなるので、とにかく「ラ」でチューニングをするとご理解ください。とはいえ、英語やドイツ語では、この「ラ」をアルファベットの最初の「A」と表現し、日本語の音名も“いろはにほへと”の「い」なので、やはり基本的な音として扱われています。
そんな「ラ」の音を正しくオーケストラ全体に伝えるのが、オーボエの一番奏者の大事な仕事です。オーボエ奏者が吹いた「ラ」の音を、まずはコンサートマスターが合わせ、それから周りの楽器が合わせていきます。
オーボエ奏者はチューナーを目の前に置き、音の高さを確かめながら、真剣そのものです。途中で音が狂うことはもちろんですが、少しでも音が揺れてしまうことも許されません。もし、試用期間中のオーボエ奏者の初仕事の時に、そんなミスを起こしてしまったら、あっという間にオーケストラの楽員に悪い先入観を持たれるでしょう。1年後に行われる正式採用にも響くかもしれません。反対に、最初から正確な「ラ」を一発で出せたとしたら、まずは第一関門通過です。
さて、チューナーも正確なピッチを指しているにもかかわらず、コンサートマスターが音を合わせてくれないといった事態が発生した場合には、若いオーボエ奏者は背中が凍る思いがするでしょう。コンサートマスターとしては、「ほんの少しピッチがずれている。これでは、オーケストラ全体でチューニングできないよ」と無言で伝えているのです。実は、もっと怖いことに、コンサートマスターだけではなく、オーケストラメンバー全員がピッチの違いに気づいているのです。そんな時に、もし反対にうっかりとコンサートマスターがそのままチューニングを始めてしまったら、今度は「あのコンサートマスターは耳が悪い」という烙印を押されることになるのです。