
ピアニストはもちろんですが、指揮者にもピアノは必需品です。指揮者にとってのピアノとは、たまにはモーツァルトやショパンのピアノ曲を弾くことがあっても、それは気晴らし程度のことで、実際にはベートーヴェンやチャイコフスキーなどのオーケストラ曲の楽譜を勉強するときに弾いて確認したりするためなのです。
指揮者の勉強とは、楽譜を見ながら、書かれている音を頭の中で響かせたりするのですが、それでもピアノで一つひとつ弾きながら、ハーモニーなどを正確に把握する助けのために使ったりします。特に、20世紀に入ってからは音楽が複雑化してきたので、ピアノで音を確かめる作業は必要なことが多くなります。
そのようにして、実際にオーケストラのリハーサルに向かうまでに、楽譜を入念に勉強し終えるわけです。よくファンの方から、「篠崎さんは、誰のCDを聴いて勉強なさっておられるのでしょうか?」などとたずねられることがありますが、プロの指揮者は誰かのCDを聴いてマネをするようなことはしません。そんなことをしても、借り物のボロがどこかで必ず出て、オーケストラにも観客にもばれてしまいます。
とはいえ、僕もまったくCDを聴かないわけではありません。作曲家自身が指揮をした録音はとても貴重な研究材料となりますし、ほかの指揮者の演奏を聴いて参考にすることもあります。それでも、それをそのままマネして指揮することはなく、やはりピアノも使いながら、じっくりと楽譜に取り組んで、自分の音楽をつくり上げていきます。
ところで、ピアノの重さは、大きなコンサートホールで使用する最大のグランドピアノだと、400キロを超えます。通常のものでも300キロ程度と、成人男性4人分くらいの重さがありますし、趣味のピアノ愛好家や、僕が家で弾いているようなアップライトピアノでも250キロくらいあるので、引っ越しの際に運ぶのは専門業者でないと無理です。
たった2人の業者の方が階段を担ぎ上げたりしますが、僕の経験上、プロレスラーのような体格の方ではなく、見た目は一般的な体型の方が、ぐいぐいと運んでいます。普通の人ならばビクともしないはずですが、そこにはプロの技があるのです。そんなわけで、ピアノを使う音楽家の引っ越しは、引っ越し費用よりもピアノを運ぶほうが高額になることも珍しくありません。
さらに、問題は運送だけではありません。家探しもひと苦労です。しかも現在は、近隣の騒音問題が厳しくなっていることで、ますます大変になっているのですが、何よりもピアノの重さに耐えられるだけの床の強度が必要なので、不動産会社をたずねても、物件がものすごく少ないのが実情です。地方から出てきた音楽大学の受験生が、合格の発表のあとに喜んでいる間もなく、すぐに不動産会社に飛び込んでも、良い物件は、なんと受験日に埋まっていたというようなことまであります。これは冗談ではなく、僕も音楽大学に合格したあとに父親と家探しをしていた際、賃貸担当のスタッフに言われました。